先に弁解させてもらいたい。これは、あくまで他人の恵まれた部分しか見ていないのをわかったうえでの打ち明け話。
「自由に生きる」「自己実現をする」「自分の夢を追いかける」
そういう生き方をすると孤独になる確率が高いとつねづね思いこんでいた。
かつて私が若かったころ、働く女性仲間は独身やDINKS(子どもをもたない共働き夫婦)が多かった気がする。
しかし、最近は仕事やキャリア、家庭も子どももすべて手に入れた女性の成功例を目にすることも多い。
嫉妬

もちろん表面的な捉え方だと承知している。
そうした現代の勝ち組女性らに葛藤や苦労がないはずがない。家庭があるからこそ、守るべき子どもがいるからこそ、悩みも深いかもしれない。
とはいえ、好きな仕事をして人生を謳歌している(ようにみえる)女性がパートナーや家族にも恵まれているなら、そして私と同年代の女性がまだ現役で活躍しながら私生活では孫にも恵まれているなら、心底うらやましいと思う。
そう、私自身痛いほどわかっている。
この感情はたんなる妬みでしかなかった。ないものねだりにすぎない。
そしていま60代になってみると、近頃はやっかみの感情すらわかない。ああ、女性として立派な生き方だなぁ、と遠い目をしながら尊敬の念をぼんやりと抱く。
夢の実現には代償を払わねばならない、などという考え自体がもはや古くさいのだろう。
自己憐憫

旅先で、フランス人の夫と日本茶カフェを営むステキな女性を見た。
その女性は老舗のお茶屋さんの跡取り娘だったらしい。こちらの想像する限りではフランス人の夫のほうが彼女とともに日本で暮らし、お茶屋さんを営むという人生を選んだと思われる。
おふたりの人柄や暮らしぶりの感じられるおしゃれですてきなカフェ空間、フランス人のご主人の感性が生かされたお茶のブレンドなど、すばらしいとしみじみと感じた。
かたや自分自身の寂しい境遇よ(笑)。
バツイチ、子なし、パートナーもいない、ご近所・親戚づきあいもほぼない、友人も少ない、仲間と呼べる人づきあいもなし……。
わかっていますとも。自分のこれまでの生き方の末路なので文句を言うつもりは毛頭ない。たんなる自己憐憫ですな。
悟り

でもはたと気づいた。
私は本当の意味で自分に正直に生きてきた気がしない。
私はこう生きたい、私はこういう人間です、と世間に堂々と表明することができなかった。
いつも他人を意識し、他人の目を気にしてきた。自分という人間を私自身よくわかっていなかったせいもあるだろう。
そして、ああ、そうか、だからこそ、いまこうして独りなのかもしれないと気づいた。
きっと自分に正直に生きると世間の風当たりはきつくなる。嫌われることもたびたびあるだろう。
でも逆に助けてくれる人、理解しようとしてくれる人も現れるはず。そんな生き方に共鳴してくれるパートナーだって現れるかもしれない。
そういうパートナーや仲間となら、長く一緒に歩んでいけるかもしれない。
そしていま

いま、私はようやく自分自身に正直に生きようとしている。
自分が持っていないものを持っている人たちをうらやむのは筋違いだ。
彼女たちは自分らしく生きるためにおそらく何かをあきらめたり妥協したりもしている。大きな代償を払ったのかもしれない。
私は貪欲に多くを望みすぎ、あきらめるという潔さもなかっただけ。
この年になっていまさらという気もする。それでも、自分なりに自分の人生に満足して生きていくしかない。
ないものねだりをしない。
自分がしなかったこと、できなかったことを後悔しない。
他人と比較しない。
「もし~さえしていたら」と仮定して過去を悔やんだりしない。
先の見えてきた人生の後半戦、これは自分らしく生きる最後のチャンスだろう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
とにかく、残りの人生を「楽しく」生きられたらと思います。
いつもながら少しでもなんらかのお役に立てばうれしいです。












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