私はずっと他人の言葉に振り回されてきました。
他人のちょっとした言葉に傷ついたり喜んだり、まさに他人の言葉に一喜一憂してばかりだったのです。
自分に自信がないから、HSP気質で敏感すぎるから、子どもの頃の家庭環境のせいかもしれないなど原因をさぐってみたこともありました。
そして60代になって本書に巡りあい、まさに頭をガツンとやられたような衝撃を受けました。
他人の話を聞くことが大切だと思いこんでいました。それなのに著者は
「言葉には本当はたいした価値はない」
「人の言葉はすべて戯言」
と断言しているのですから……。
他人の言葉を上手にスルーするために
言葉の位置づけがおかしくなっている
著者によれば「他人の言葉に振り回されやすい」というのは、
「他人の言葉の価値を高く捉えて、自分を低く捉えている」
「他人の言葉の下僕のような状態になっている」
ことなのだと。
言われてみればまさにそのとおり。でも、そんなふうに客観的に自覚したことなんてなかった……。
他人の言葉に振り回されるのは、あなたにとっての言葉の位置づけがおかしくなってしまっている。それほどの価値はないにもかかわらず、神棚にあるかのように言葉の価値が高くなってしまっている。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
公私が曖昧になると、人間は不安定になりやすい

では、「言葉」にはいったいどの程度の値打ちがあるのか、その実態を知る必要がある、と著者は言います。
本書のここからの展開は私にとって驚きの連続でした。
なにしろ
「言葉は大切」「人の話を聞くことは大切」という前提に真っ向から疑問を投げかけ、その間違いを論証してみせる
のですから。
言われた言葉が何十年経ってもスルーできないのは、発言者が「まともだ」という前提がそこにあることが大きな原因の1つと考えられます。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
発信者が「まとも」かどうか……。
あらためてそう尋ねられると、たしかにあんまりまともじゃない(ごめんなさい!)人だったり、ふだんはまともなはずが急にひどいことを言いだす人もいたり。
人というのはなぜかおかしくなる。急に理不尽なことをしたり、言ったりする。
しかもそれは日常でも頻繁に生じる、と著者は述べています。
しかし、もし「人が変わる」ということが私たちの身の回りで頻繁に生じているとするならば、私たちが接する「言葉」は果たして真正面から受け止めるに値するものなのでしょうか?
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「人が変わる」という点に関して、著者はあおり運転(ハンドルを握ると人が変わる)や家庭内暴力、ハラスメントといった例をあげて仮説を立てます。
「人間というのは、プライベートな空間ではおかしくなりやすいのだな」ということ。もっと正しく言い換えれば、「公私が曖昧になると(公的領域が崩れると)、人間は不安定になりやすい生き物だ」ということでした。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「本来、人間にとって私的な状態というのは不安定で、自分でも扱いに困るもの」
「『人間は社会的な動物』と言われるように、私たちは社会化されて初めて『自分』でいられるようになる」
のだと。
人間にとって、内面にある私的な感情や思考は自我のエネルギー源のようなものです。ただ、そのままでは扱うことはできず、公的な領域を内面化して、私的な感情や思考が社会的(公的)な人格へと昇華される環境があってはじめて人として安定を得ることができるのです。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
多くの人がなんらかの不全感を抱えているけれど、
安定した公的な環境(社会規範や社会での位置と役割が影響する空間や場所)においては私的な感情や思考を整え、安定した自我を保てる、
というのです。
人間は、不全感を満たしたいという自分の身勝手な都合を、もっともな理由でコーティングして他人に絡もうとするのです。
(中略)
こうしたことから身を守り、言葉をスルーするためには、干渉される筋合いがない、といったことに気づくことが必要です。もっともらしい「言葉」の裏には実は不全感が隠れていることを感じ取れなければなりません。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
自分がない! 自分の言葉がない!

人間やその「言葉」の実態について解説したうえで、言葉に振り回される原因についても、著者は
「愛着不安(愛着障害)」「トラウマ」
といった面から詳しく解説しています。興味のある方はぜひ本書をご一読ください。
私自身けっこう身につまされる部分もありました。
愛着不安とトラウマを負ったケースの代表的な特徴を見て気が付くのは、厳しい言い方をすれば、彼ら彼女らには「自分がない」。もっと言えば、「自分の言葉がない」ということです。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「自分がない」「自分の言葉がない」……。
図星ですね。ぐさりと胸に刺さりました。
他人と話しているときも、いつも自分の言葉で語っていない、相手を過剰に気づかうあまり無難でありきたりなことばかり話していると感じてきました。
私自身、子ども時代の育てられ方のせいで愛着不安を抱えていたと思います。
自信がない、妙に真面目、緊張しやすい、他人の「理想化」、「物事を過度に深刻に受け止めてしまう」、「共感しすぎる」、「罪悪感の強さ」などがありました。
そのうえ、翻訳という言葉を扱う職業についたため、一言一句を相手に悪戦苦闘することになりました。
著者の意図を正確に読みとらねばならない、それを的確な言葉で表現せねばならない、というプレッシャーを過度に自分にかけていきました。
そうして最後にはそのストレスに負けそうになっていたのです。
自分の言葉で訳そうとしても自信がないので訳語の裏取りに必死でした。もっとのびのびと自由に訳せたらいいのにと願っていました……。
大切なのは「自分の言葉」

こうして見ると「言葉が大切だ」という際の言葉とは本来、他人の言葉ではなく「自分の言葉」だということに気が付きます。私たち人間が一人前になるとは、言葉を自分のものとするということでもあります。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「自分の言葉」が大切。
振り返ってみると、翻訳者のさがでしょうか、いつも他者の言葉ばかり扱っていたので、自分の言葉がおざなりになっていたようにも思います。
言葉に振り回されなくなる、スルーする技術(スルースキル)を身につけるとはなにかと言えば、人生の中でさまざまな原因によって奪われてしまった「自分の言葉」を取り戻すということです。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「自分の言葉」を取り戻す。では、それは具体的にどういうことなのでしょうか?
「自分の言葉」を取り戻すとは、言葉に対する主権を自分のものにすること。どの言葉を受け取り、どの言葉を受け取らないのかを自分の基準で判断すること。どのように解釈するかも自分で決めること。自分が発信する側になった際も、自分を主語にして自分の考え、感情を話すことです。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
なるほど、
言葉を受け取るかどうか、どう解釈するのかを自分の基準で判断して決める、
ということですね。
「自分の文脈」で相手の言葉をスルーする

では、どのように実践していけばよいのでしょう? 私自身が役立つと思われた著者のアドバイスをまとめてみます。
言葉に振り回されやすい人は、なぜか文脈ではなくて、
相手の機嫌や頭の中に意識が向いてしまう、
と著者は解説しています。
私はまさにそのタイプでしたね。相手の機嫌や頭の中ばかり覗いていました。それが文脈を読むことだと勘違いしていたようです。
つまり
相手の立場になる、相手の視点で考えるという場合でも、それはあくまで「自分の文脈」に統合したうえでなされること、
反対に、「自分の文脈」の中で統合されないまま「他人の文脈」を呑み込んでしまうことを「他人に巻き込まれる」と言うのだそうです。
これは耳が痛い指摘でしたね。
私はかつて「どうして?」「なぜ?」と疑問に思っては相手のことや自分のことを分析してばかり。頭の中でネガティブな考えがぐるぐる回っていました。
理不尽なことを言われたら、即座に切り捨ててしまえばよかったのですね。
もっとあなた自身が主人公として、自分中心で言葉をスルーしたり解釈したりすることが必要だ、
と著者は言います。そうすることが健全な関係にもつながり、相手にとっても楽なのだと。
言葉はあなたが解釈し、あなたが価値を決めるものです。もっと気楽に、もっと自由に言葉を扱ってよいのです。そうしてこそ言葉には命が宿ります。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
まさに目からウロコが落ちたような気がします。
ずっと長いあいだ言葉にガチガチに縛られてきたのだと思います。だからこそ翻訳という作業に喜びを感じられなくなった時期があったのかもしれません。
さらに「共感する」ということについても、著者はこう指摘しています。
私自身「共感しなければならない」という呪縛があり、そのせいで他人の言葉に振り回されることもありました。
つまり、俗にイメージされる「共感」というのは本当の「共感」ではありません。単に、相手の私的領域に巻き込まれているだけだということです。
(中略)
近すぎず、遠すぎず──これが共感というものです。
言葉に振り回されてしまう人が行っている気遣いは共感ではありません。「巻き込まれ」です。
みきいちたろう著『プロカウンセラーが教える他人の言葉をスルーする技術』(フォレスト出版株式会社)
「共感」についても見直すことで、人間関係が楽になりそうですね。
今後は安易に気遣いしすぎず、「共感」と「巻き込まれ」を自分なりに区別できるようにします。
他人の言葉を「自分の身体(寝室)の中」には入れない

それから、本書の指針を実践するうえで、次のアドバイスはとてもわかりやすいと思います。
おもしろくてわかりやすい例えですよね。これなら覚えて実践しやすいかもしれません。
わかりやすいアドバイスをもうひとつ。
もっと自分の勘や感覚を大切にすればよいのですね。言葉となると、つい理屈でとらえようとしがちかもしれません。
まとめ ~スルー技術を身につけるためのヒント~
さいごにまとめとして、本書の最終章の見出しからスルースキルを身につけるためのヒントを抜きだしておきます。
- 「自分の文脈」を意識する
- 他人の機嫌をうかがったり、頭の中を覗き込まない
- 相手に寄り添わない、共感しない
- 「公的領域」を自らつくり出す
- 言葉を身体の中に入れない。“玄関先”“応接フロア”で聞く
- 意味深で、もっともらしい話はバッサリと切り捨てる
- 「ガットフィーリング」で判断する
- 他人に干渉する筋合い(権利)は誰にもないということをあらためて知る
- 言葉と戯れる~言葉をいい加減に使う
著者は本書のあとがきで、
「この本もあなたから見たら他人(筆者)の言葉でできていますから、ある意味『戯言』です。それぞれご自分で吟味をして、スルーして、ご自分の文脈でご活用いただけましたら幸いです」
と述べています。
著者自身も他人の言葉に振り回されてきた経験があるそうです。あとがきのこの一文からも、本書に一貫して感じられる著者の真摯で誠実な姿勢、真面目さ、優しさが伝わってきました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「他人の言葉に振り回されるという事象は、まさにその自分と他者との関係の不全によって生じています」という著者の言葉。
私も、自分自身と自分の言葉を取り戻すことで他者との関係をよいものに変えていけたらと心から願います。
あっ、でもまた著者の言葉をすべて鵜呑みにしているかも!? いけない、いけない……。












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