「死が、いのちをつないでいる」 ~宮崎学『アニマルアイズ 動物の目で環境を見る2 死を食べる』より~

~宮崎学『アニマルアイズ 動物の目で環境を見る2 死を食べる』より~

動物の死と自然の循環などをテーマに写真を撮り続けている「自然界の報道写真家」、宮崎学さんの児童書『死を食べる』

まさに衝撃でした……。NHKの特集番組の再放送をたまたま見て、宮崎さんのことを知ったのがきっかけで、この写真絵本と出会いました。

目次

死が怖くてたまらなかった

鮮やかな明るいグリーンの背景に白い花々の画像

私は子供の頃から死が怖かった。祖父母と同居していた私は、人間が年老いて弱っていき、いずれこの世からいなくなると知っていたので、祖父母が死んでいなくなってしまうのを極度に恐れていたのですね。

とにかく、死を恐れ、忌み嫌っていました。

でも、自分自身もすでに60代になり、そろそろ人生の終盤戦にさしかかった頃、この本を読んで、死のとらえ方が大きく変わりました。

つい忘れがちですが、人間も自然の循環の一部であり、死んだら土に還っていくもの。死はなにも特別なことではなく、ごく自然なことなのですね。そんなに恐れる必要はないのかもしれません。

自然の中では、どんな死も、だれかが見つけて食べてしまう。だれかの食べものになって、けっして、むだにはならない。

宮崎学『アニマルアイズ 動物の目で環境を見る2 死を食べる』偕成社

私は生命の循環からはずれた存在??

濃いグリーンの背景に淡いオレンジ色の花々の画像

ここからお話しすることは私自身の価値観に基づく奇妙な妄想ですので、そのようにご理解いただければ幸いです。他の誰かの生き方について言及しているものではまったくありません。

自然の循環、生命の循環について思いを馳せるとき、私は自分自身が人間本来の営みからはずれてしまったという自責の念に駆られることがあります。一度結婚したもののその後離婚しており、子を産み育てることなく一生を終えるからです。

これはあくまでも古い価値観に縛られた私自身の思いにすぎません。現在、私は自分らしく自由に生きたいと切に願っており、もはや自分を責める気もないし、自分の人生はこれでいいのだと(もはやどうしようもないという事実もありますが……笑)思っています。

ただ、私が育った家庭環境や時代、教育、私自身の性格のせいもあって、「普通」でなくちゃいけない、「世間」に恥ずかしくないように生きないといけない、という強迫観念にとらわれていました。

とにかくはみ出してはいけない、地味で目立たない存在でいるほうが楽だと。当時の風潮として、世間一般からはずれてしまうと面倒だったからです。

私自身、30代直前に結婚したのですが、ようやく結婚したら次は「お子さんは?」と周囲からしょっちゅうプレッシャーをかけられました。私の若い頃は、短大を卒業して商社に就職、職場結婚して専業主婦になる、という女性が多かったからでしょう。

余談ですが、現在でも、当然、孫がいるはずという先入観からでしょうか、私に対して私の母のことを「おばあちゃん」と呼ぶ近所の人もいます。私からすれば「おばあちゃん」と呼ばれても誰のことなのかぴんとこなかったのですが……。

とにかく、昔から私は自分に自信がなく、強い人間でもなかったので、ごく普通で、一般的な存在でいられるほうが、周囲からあれこれ批判される心配もなく、気楽だったのです。

大きな死は小さな生きものたちの命につながっていく

濃いブルーの背景に色とりどりの花々の画像

ところが、そんな私ですから、いったん「普通」からはずれてしまうと、自分がダメな人間、恥ずかしい人間だというレッテルを貼られたような気がしてなりませんでした。社会の役にちっとも立っていない、女として失格なのでは、という思いにとらわれてしまいました。

大げさではありますが、この地球上において私は生きものとして意味のない存在、ムダな命でしかないのではないか、と。

でも、宮崎さんの本に出会い、考え方が少し変わりました。自然界では大きな生き物も死んでしまえば小さな生きものたちの食べ物になるとわかったからです。

大きな死を食べる、小さな生きものたち

大きな、大きなクジラも、死んで陸にうちあげられれば、小さなフナムシや、ハエなどのえじきになるのだ。

宮崎学『アニマルアイズ 動物の目で環境を見る2 死を食べる』偕成社

人間だけはそういった自然の摂理や生命の循環からはずれているように思いこんでいましたが、本来はそうではないのですよね。

「死ぬことも、死を食べることも、いのちとおなじくらい、たいせつなこと」

子孫を残す、代々受け継がれていく。そこから逸脱してしまった私は、時折、埒もない夢想に耽るのです。いつかひっそりと森の中で死んでいき、自然の摂理に従い、人間よりも弱い存在とされる動物たちのえじきとなる。私の死がほかの生きものたちの命へとつながっていく。そんなふうにして生きものとしての命をまっとうできたなら……。

おそらく誰にも理解してもらえないのかもしれませんが、私のなかでは「人としてこうあるべき」という固定観念が強かったのかもしれません。バカげた話だと理性ではわかっているのですが……。

死が、いのちをつないでいる

 死は食べられることで、ほかの生きものの、いのちにかかわっているんだ。もしかしたら、死ぬことも、死を食べることも、いのちとおなじくらい、たいせつなことなんじゃないだろうか。だから、ぼくは、いっしょうけんめい死を食べて、いっしょうけんめい生きたいと思う。

宮崎学『アニマルアイズ 動物の目で環境を見る2 死を食べる』偕成社

でも、私の夢想はさておき、死は特別なことではない、生きているあいだは死を食べて一生懸命生きていこう、そしていつかその時が来たら死んでいけばいい、と思えるきょうこの頃です(笑)。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
伝えたいことがうまく伝わっていたらいいのですが……。

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