みなさん、自分の給与や報酬の額について悩んでいませんか? これくらいしか稼げなくても仕方がない、どうせ私なんてダメなんだ、能力や努力が足りないから、才能がないから、運がないから……と自分を卑下して惨めな思いにとらわれていませんか?
私自身ずっとそんな悩みを抱えてきました。やりがいと報酬のアンバランスについて釈然としない思いがありました。
今回はずばり、私の翻訳での報酬にまつわる悩みがすーっと消えて、心から救われた気がした、ある書籍の一節をご紹介します。
*あくまで私個人の経験に基づく内容になりますので、そのことをご理解のうえでお読みいただければ幸いです。
右肩上がりの時代の終焉
私は現在60歳で、ここ20年ほどフリーランスの翻訳者として働いてきました。高度成長期からバブル崩壊も経験した世代だからかもしれませんが、自分がいくら稼いでいるのか、自分の給与や報酬を自分の価値だと無意識のうちに思いこんでいたようです。
かつての右肩上がりの時代はそれでもよかったのでしょう。一生懸命努力すること、真面目にコツコツ働くこと、さらなるステップアップのために自己投資すること。すべて報酬という形で報われる時代でした。
年功序列や終身雇用という制度もまだ維持されていた頃ですから、特別な才能に恵まれなくてもとにかく真面目に働いていれば将来も保証されていたのです。
ところが平成不況、デフレの時代になり、それまでそこそこ努力していれば人並みに稼げたというのに、いくらがんばってもまともに稼げないようになりました。
翻訳者としてフリーランスで働くことの厳しさ
私の場合、そもそも翻訳という不安定な仕事を選び、フリーランスになったのもいけなかったのでしょう。それは自覚しています。それまでは英語講師という定職があったので、副業で翻訳をしながらなんとか安定した収入を得ていましたが、やむなくフリーランスの道を選ぶことになったのです。
翻訳一本ではとうてい食べていけません。出版不況の波が押し寄せてきたせいもありますが……。
離婚したせいもあり、なんとか経済的に自立したかったのです。とにかく収入を確保するには翻訳の仕事を増やすしかありませんでした。それでも出版翻訳の場合いくら無理をしても(1冊を訳すのに約3カ月要すると仮定すると)せいぜい年に4冊くらいしか訳せません。当時は案件を掛け持ちすることもしばしばで、いま思えば相当無理をしていたと思います(汗)。
出版翻訳の仕事を夢見て、その夢を実現するために翻訳の勉強にもかなり投資しましたし、趣味の読書や映画鑑賞も純粋に楽しめなくなるほどつねに英語と日本語にアンテナを張っている状態でした。
それでも年収にしてみると語学学校に勤めていた頃のほうが安定して稼げていました。仕事のスケジュールとしても、もちろんその当時のほうがかなり楽でした。フリーの翻訳者になってからはほぼ休みなく年がら年中、夜まで働くような生活が続きました。
傷ついた自尊心、あきらめ、卑屈……
やがて、長期的に継続して食べていける仕事ではないなと感じるようになりました。私の能力不足のせい? なかなかうまく手を抜けず、要領の悪い仕事のやり方のせい? やっぱり私みたいにたいした実力もない人間にフリーの翻訳は無理だったのか?
けっこう悩みましたね。翻訳は孤独な作業ですし、出版翻訳の世界に友人はいなかったので、ひとりで悶々としていました。これなら転職したほうがよほどまともな生活ができそうだとまで思いつめました。
もちろん、それは私自身の主観や感じ方であって、こんなにがんばったのにこれだけしかもらえないのかという期待と現実とのギャップのせいかもしれません。望んでいたよりもずっと報酬が少ないと(もちろん波はありますが、1カ月分の報酬に換算すると10万円台だったこともあり)かなり落胆しました。
出版翻訳で生計を立てるのをあきらめよう、副業として好きでやっているのだからいいじゃないかと考えようとしました。でも、そんなふうに満たされない気持ちで働いていると、自尊心も傷つけられました。
お金だけが目的ではないけれど、どうしてこんなに報酬が低いのだろう、いくら好きでやっている仕事とはいえあんまりでは……。自分が熱心に精いっぱい取り組んでいる仕事も時給に換算するとこの程度かと卑屈になっていました。
仕事の対価はどうやって決まる? 対価の金額=自分の価値?
ある仕事に対する対価はどのように決まるのか。疑問が芽生えました。そして読み始めたのが、米国の研究者による『給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く』。
結論部分で次の一節を読んだとき、不覚にも涙があふれてきました。
給与は、個人の成果や職業の特性によるものではなく、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンが言うように、「単純に需要と供給によるもの」であると同時に「社会的な力と政治的権力によるもの」であると定義しなおせば、自分の能力が足りないと嘆く必要も、自尊心を傷つけることも、幸運にもたくさんもらっている人が優越感を持ってうぬぼれることもなくなるだろう。
ジェイク・ローゼンフェルド 川添節子訳『給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く』(みすず書房)
そのときの私の心情は、私のように長年思い悩み、本書を最後まで読んだ人にしか伝わらないかもしれません。
本書で著者は、「給与は個人の成果、あるいはその仕事の重要性によって決まる、という広くいきわたった考えに対して、労働市場が内外に抱えるさまざまな欠陥をあげて反論」(訳者あとがきより)しています
「賃金や給与は組織内で決定され、そのプロセスは権力、公平性、模倣、慣性という四つの要素に影響される」のだと。
とにかく、この一節を読み、私は心から救われた思いがしました。自分が悪いのだ、自分の責任だと感じていましたし、同時にどうして人が受け取る報酬にこれほどの差が生じるのか、心底疑問に思っていたからです。
当然ながら、救われた気がしたとはいえ、じゃあどうするのか、という次の疑問にはつながります。自分の問題があっさり解決されるわけではありません。
ちなみに本書ではそのための3つの解決策として「賃金の下限の引き上げ、ミドルクラスの拡大、天井(上位層の報酬)の引き下げ」が提示されています。
それでも私は長年の疑問や苦しみ、葛藤から解放されました。経済的な自立を手にするためにどうするか、その手段はさておき、私が自分の能力不足について思い煩う必要はなかった、自尊心を傷つけられることもなかったと知って、精神的にすっかり楽になりました。
さいごに
もし私と同じような状況で悩み苦しんでいる方がいたら、具体的な対処法が必要であるとはいえ、少なくとも自分を責めたり自分の能力不足や運のなさを呪ったりしなくてもよいのだと気づいてくださいね。
みずからの仕事に誇りを持ち、自尊心を保ったまま、現実的な対処法を考えだすことに集中すればよいのです。無意味に自分を傷つけなくてもよいのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
せっかく働くなら、なるべく明るく楽しく、やりがいを感じながら働きたいですよね
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