みなさん、親の介護で悩んでいませんか? 精神的に苦しい、つらいと感じていませんか?
私は脳卒中の後遺症で片麻痺のある母を10年以上自宅で介護してきましたが、そのあいだ何度も精神的にぎりぎりのところまで追い詰められたことがありました。真面目につい限界までがんばってしまう性格が災いしているのでしょう。
介護は人それぞれで、おそらくひとつとして同じケースがないはず。介護を必要とする要介護者の状態や性格、家族関係、経済状態、暮らしぶり、そして私たち介護者側の仕事や生活、性格など、多種多様な要素が絡んできます。
今回は、要介護者である親が受けるサポートではなく、私たち介護者側が精神的にサポートを必要とする場合について、お話ししてみたいと思います。
*あくまで私自身の経験に基づく考えや情報ですので、その旨をご了承いただければ幸いです。
私の経験が少しでもお役に立てばうれしいです。
介護者本人が受けられるサポートはない?!
私の母は要介護3と認定されており、介護保険制度のおかげでさまざまなサービスを受けています。車いすやベッド、室内に設置する手すりのレンタルから、デイサービスや在宅でのリハビリの利用など。ケアマネジャーや看護師、介護スタッフらが母のことを気づかい、大切に扱ってくださいます。
しかし一方で介護者である私たち子ども側が、自分自身の仕事や生活、将来のことで悩んでいる場合、どこに相談できるのでしょうか? 私自身が痛感しているのは、介護者本人を支えてくれるサービスはほとんどないということです。
もちろん、物理的にはっきりとした困りごとがあれば、ケアマネジャーに相談して要介護者が受けられるサービスはいくつもあります。
ところが、介護者本人がつらい、不安だ、イライラする、苦しいと感じていても、介護保険制度になんらかの精神面でのサポートを期待することはできません。当然ながら、介護保険は基本的に要介護者のための制度だからです。
私自身、あるとき精神的にまいってしまい、とうとう母の担当のケアマネジャーさんに悩みを相談し、母との関係性などいままで隠していたことを打ち明けたのです(母は「毒親」とまではいきませんが、子どもの頃には私はけっこう折檻を受けていました。昭和初期には珍しい話ではないのでしょうが)。
ケアマネジャーさんは困ってしまったようでした。そして、相談先をたずねた私に対して、地域で家族会がないかどうか調べるとのみ答えました。やはりそれくらいしか介護者にとっての相談先やサポートはないのだなと実感した次第です。
私自身が精神的に追い詰められたときに取った行動
親の介護における介護者の精神的な悩みは、当事者以外の人間にはなかなかわかってもらいにくく、家族の問題もあっておおやけに相談しづらいと思います。
私自身、友人にも介護経験者は少なく、さらに言えば、友だちに話したとしても、脳卒中の後遺症のことなどはなかなか実感がわかないらしく、うまく伝わらなかった覚えがあります。
私がとった行動は、
- 都道府県・政令指定都市が実施している「こころの健康電話相談」でとりあえずすべてを吐きだして、苦しい気持ちを聞いてもらった。
- 精神的に落ち着いてから、ケアマネジャーに具体策を検討してもらい、ショートステイの利用などの提案を受ける。相談先としては「地域包括支援センター」もある。
- 家族の会への参加を検討する。私の地域では、「認知症の家族会」という名称であっても、問い合わせてみたところ認知症の家族に限っているわけではないという回答があった。情報交換や相談の場として家族会を検討してみるのもよい。
私自身はまだ詳しく調べていませんが、介護者支援を行うNPO法人なども存在するようです。たとえば、介護者サポートネットワークセンター・アラジンでは「心のオアシス電話」という電話相談も行っています。
私はこうしたNPO法人の存在を知らなかったので、緊急に市町村の電話相談を利用させてもらいましたが、介護の悩みなら専門のNPOに相談するのがよいかもしれません。ただし、電話相談が実施される日時が限定されるようなのでご注意くださいね。
さらにSNSを活用している方なら、Twitterで同じような悩みを持つ介護者を見つけて情報交換したりするのもよいと思いました。
漠然とつらいと感じているだけでは解決しませんから、自分がいまどんなサポートを必要としているのかを見極め、相談先を決めましょう。ちょっとだけ悩みや愚痴を聞いてほしいのか、具体的な支援策が欲しいのか、同じ悩みを共有する人とつながりたいのか、など。
親の介護を少しでも楽にするための知恵
さいごに、最近読んだ、石川結貴著『毒親介護』(文春新書)より役に立ちそうな内容をご紹介します。
この本は前半に掲載された事例がどれもあまりにも過酷なケースばかりで、読むのもつらいのですが、後半には毒親の介護のみならずどんな介護にも通じる知恵や知見が記されています。
以下はすべて本書から一部を抜粋しています。
自分の親という個人に焦点を当てるのではなく、その世代の人間はどういう生き方をしてきたのか、どんな価値観や考えを持ちやすいかという視点を持ってみる。
その世代ならではの経験や思考からそうならざるを得ないという面もあるはず。
石川結貴著『毒親介護』(文春新書)より
肉親ですから、私の場合は子ども時代の関係性も含めて、つい親に厳しい視線を投げかけてしまうのですが、「客観的な視点から親を見る」こともときには必要なのでしょう。そうすれば親の気持ちを理解しやすいのかもしれませんね。
自分の特性やキャパシティー(許容量)を考える。親のことはわからなくても、自分のことならわかるはず。自分の得意や不得意、がんばりすぎる、落ち込みやすい、といった特性を考えてみる。
石川結貴著『毒親介護』(文春新書)より
たしかに親のことはわからなくても、自分のことならわかります。私の場合は真面目でがんばりすぎる性格で、なかなかあきらめきれないからこそ、自分自身を追い詰めてしまいがちです。そうならないような介護体制を整えるため、ケアマネジャーに相談すべきでしょう。
自分の生活や仕事についてもケアマネジャーに相談できる。「フルタイムの仕事をつづけたい」とか具体的な内容を伝えることで適切な介護サービスの利用が可能になる。
石川結貴著『毒親介護』(文春新書)より
自分の仕事や生活をどうしたいか、自分の希望を優先することが長期にわたる介護生活を乗り切る秘訣かもしれません。まずは自分のことをじっくり考え、そのうえで具体的な介護サービスの利用についてはプロに任せたらよいのですね。
親の性格や生活環境に合わせて臨機応変に、割り切りながら、できるだけ楽しく、それが介護の基本。
石川結貴著『毒親介護』(文春新書)より
「臨機応変に、割り切りながら、楽しく」は理想ではありますが、きっと実践するのはかなり難しい。でも、私自身振り返ってみれば、年月の経過とともによい意味であきらめも生まれてきました。何事もこだわらなければ、いろんな人たちに頼りつつ、なんとかなっていくものだと思います。なにより自分の人生がつらい色一色になってしまうのも残念ですから、できるだけ介護者も要介護者も楽になるように知恵を絞りたいです。
石川結貴『毒親介護』より、さいごに究極の言葉を
これは「毒親介護」だからこその言葉で、介護者に逃げ道をつくるためのものです。そう理解したうえで、究極のところ、介護にあまりにも疲れたときに思いだせば、心が楽になるかもしれません。もちろん、ほんとうに親を捨てるわけではありませんが。
子どもがいない高齢者でもふつうに生きている、この事実を心の片隅に留めておく。それは「自分が捨ててもどうにかなる」という気持ちの整理に役立つし、罪悪感を手放すためのひとつの考え方になるだろう。
石川結貴著『毒親介護』(文春新書)
介護者である子ども側は、責任感や義務感から自分をぎりぎりまで追いこんでしまう場合がありますから、それを避けるためにも上記の言葉を心の片隅にしまっておけば「自分がそこまでがんばらなくてもなんとかなる」と自戒できるでしょう。
みなさん、くれぐれも無理をしすぎないように。しんどくなったら、早めにケアマネさんたちに相談しようね。
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