膨大な量のモノとの格闘
私は現在60歳。まさに昭和の世代です。
当時は、年功序列や終身雇用といった制度がまだ存在していました。右肩上がりの経済成長が信じられ、一億総中流と言われた豊かで安定した時代でした。バブルに浮かれた時期でもありました。ですから、物欲を満たすことで自分自身を満たすことが当たり前で、ほとんどの人がそこになんの疑問も抱いていなかったように思います。
私の母も戦後の貧しい時代を経験していますから、とにかくモノを捨てられません。まだ使えるのにもったいない、というのが口癖でした。
そんなわけで自宅はモノにあふれていました。母の両親や祖父母の古い着物、家財道具、もらいものの食器類、洋服、電化製品…。まったく捨てずに新たに買い続けるのですから、もちろん増えるばかり。そして押し入れに押しこまれたまま、それらの品々は忘れ去られていく…。
それでも私にとって実家は母の家であり、母が好きにすればよいと考えていました。離婚後、実家に戻ってからも自室だけを自分のテリトリーとして整えていました。その暮らし方が立ち行かなくなったのは、母が脳卒中で倒れ、介護が必要になったときです。私自身が家の管理をせざるを得なくなり、モノの多さに閉口し、もっとすっきりとした空間で気持ちよく暮らしたいと感じはじめたのです。
モノとの格闘は想像以上に大変でした。母が倒れてからずっとかれこれ10年以上、家具なども含めた自宅の不用品を捨て続けています(笑)。私がひとりでコツコツと空き時間に整理・処分しているので、こんなに長い時間がかかっているのですが、とにかくモノに膨大なエネルギーや時間を奪われてきました。
モノを所有すれば安定を生むどころか、不安が増えるだけ
そんなとき、伝説の経営者、中野善壽さんの『ぜんぶ、すてれば』を拝読し、衝撃を受けました。
失礼ながら、経営者として成功した方々は立派な屋敷に住み、高級車に乗るものだという先入観がありましたが、中野さんは「何も持たない」生き方を実践し、家や車、時計は持たず、お酒もタバコも嗜まない、お金も若い頃から、生活に必要な分を除いてすべて寄付されているそうです。「何も持たないからこそ、過去に縛られず、未来に悩まず、今日を大切に生きることができる」とのこと。
なぜ家を買うのか。
「ここにいつでも戻って暮らすことができる」という安心感を得られるからでしょうか。
でも、それは逆に言えば「ここにいつまでも縛られる」ということ。
(中略)
ものを所有することは安定を生まない。むしろ不安が増えるだけ。
「いつでも移れる。どこでもすぐに新しい生活を始められる」。
人生の選択肢を広げてくれる、そんな軽やかさを持ちたいと僕は思います。
中野善壽『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)「所有は安定を生まない。ものを捨てれば、自由になれる」より
確かに、家を所有していると安心な半面、維持費も税金もかかりますし、災害のときには家が無事かどうか心配でなりません。
我が家も母が所有する築古の借家が台風で被害にあったときには、保険の請求やら修繕やら、本当に苦労しました。そこからの収入が多少なりともあるからこそ、私たちも暮らしていけるのですが、やはり所有することはメリットばかりではありませんね。
服にこだわると行動を制限されてしまう
もうひとつ、個人的にツボにはまったのが次の記述でした。一応女性なので服にこだわっていた時期もあるのですが、中野さんは「服もいつでも捨てる」とのこと。
そもそも、着るものにこだわり過ぎると不自由になってしまう、
というのが僕の価値観です。
目の前で可愛い子どもが絵描き遊びをしているとき、
「新しい服が汚れちゃうから、絵の具がついた筆を振りまわすのはやめなさい」
なんて野暮なことは言いたくない。
大人の役割は、子どもが夢中になって遊ぶ姿を見守り、そして応援すること。
「いつ捨てたっていい服」を着ていれば、
行動を制限されないから、いつでも思い切れる。
中野善壽『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)「服はいつでも捨てる。こだわらないから、思い切れる」より
昔、アメリカの学生さんたちが屋外のいろんな場所で地べたに座りこんで本を読んだりする姿を見て、日本人としてはちょっと抵抗を感じつつ、ああ、自由でうらやましい、という気持ちもありました。私は根っからの貧乏性で、たいして高級な服を着ているわけでもないのに、服を汚したくない気持ちが強かったんです。そのせいで正直、不自由だなと心の底では思っていました。
所有という呪縛から解放されよう
育った環境や時代、自分の性格のせいもありますが、モノにこだわりすぎていました。所有するという呪縛にとらわれていました。
しかし、過去にまつわるモノを捨てると、過去から自由になった気がしました。今の自分にとって不要なモノを捨てていくと、今現在に集中できるような気がしました。使っていないモノ、着ていない服はもちろん、思い出の品すら、今の自分に必要かどうか、ポジティブな気分にしてくれるか、という基準で整理していきました。太っていたころの特にブサイクな写真なんて見たくもないのに、なんで後生大事に保管していたんでしょう(笑)。
最近はさまざまな分野でサブスクリプション・サービスが登場しており、所有しない身軽な暮らしが可能になっていますね。
私自身はまだまだ精神的にも物理的にも縛られている状態ではありますが、60代に入った今こそ、思い立ったときに行きたい場所に行き、心魅かれたらそこにしばらく滞在する、なんていう自由で贅沢な時間の過ごし方をしたいものです。いや、母の介護もありますし、借家の管理もありますから、現実はなかなか厳しいのですが(笑)。
モノを所有することは安定を生まない。むしろ不安が増えるだけ。
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