えっ、それって不公平じゃないの!?
私は頭の固い人間でした。世の中に平等なんてないとわかっていながらも、たとえば職場などで自分だけが不利な立場に置かれたり、ほかの人たちよりも損をさせられたりすると、腹を立てていました。理不尽だ、不公平だ、アンフェアだとぶつぶつ言っていました。
ですから、評論家の白取春彦さんの『頭がよくなる思考術』を読んだとき、大半はその内容にうんうんうなずくことしかりだったのですが、ひとつだけ、「えっ、どういうこと?」ときょとんとした記述がありました。以下のようなエピソードです。
葡萄園を経営している主人が、朝早くに4人の失業者を雇う。日暮れまで働けば2万円の賃金を支払うという条件で。ところがその日の午後遅く、またひとりの失業者に出会い、日暮れまで働けば2万円の賃金を支払うという条件で雇うことに。やがて日が暮れ、賃金の支払い時、先の4人の男たちは不平を言う。朝からずっと働いた自分たちと、午後遅くから働いた男が同賃金だというのは不公平だと。(白取春彦『頭がよくなる思考術』より一部要約)
「現実の日々を生きている人間に適した考え方」とは?
ここまでは当然の話だと思いました。ところが主人はこう答えます。「日暮れまで働いてこの賃金を支払うと契約したではないか。それとも、わたしの気前のよさに腹を立てているのか」
著者の解説は次のとおりです。
数学的、もしくは一般的な経済の観点からすれば、主人は確かに不公平なことをしたが、なぜそんなことをしたのか。それは、あとで雇った男もまたある程度の金銭が必要だからである。たまたま少ない時間しか働けなかった男が他の人間よりも少ない生活費用ですむという道理はない。人間が人間として生きていくためには、どうしてもある程度の額が必要なのだと。(白取春彦『頭がよくなる思考術』から一部要約)
そして最後にこう結んでいます。
これが、人間的な考え方の一つである。数字と時間を組み合わせて比率が正しく合っていればよしとするのは機械には通じるが、現実の日々を生きている人間に適した考え方ではないのだ。
白取春彦『頭がよくなる思考術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)Ⅰ「答えを出せる」頭をつくる 13 人間らしく考えよ
人間らしく寛容な社会を!
本書を読んで疑問に思ってから数年後、私は母の代わりに賃貸住宅の管理をすることになりました。そして不動産業者さんが入居者を紹介してくれる際に、同じタイプの部屋でも入居者によって敷金、礼金、家賃などの条件が少しずつ、いえ、ときにはかなり違うことに気づきました。
会社勤めが長く、ある仕事に対してあらかじめ決められた額を受け取るのが当たり前だった自分にとって、価格が客によって変動するというシステムにあらためて驚きを覚えました。
初めのうちは不平等じゃないのかと感じていましたが、私自身さまざまな入居者さんと接するうちに考え方が変わってきました。それぞれの懐具合に応じてちょっと気前よくまけてあげたり、ちょっぴり値を上げたり。いわゆる「商売」というものが、たくさん持っている人からはたくさんもらい、持っていない人にはそれなりに払える範囲で払ってもらう、といった慣習で成り立っているのであれば、非常に合理的なシステムかなと思います。個人にとっては不平等に感じることはあっても、世の中全体としてはある種平等なのかもしれません。
著者が言うところのそういう「人間的な考え方」ができれば、世の中はうまく回っていくような気がします。自分が恵まれているときは多く払い、不運が続いたら少なく払わせてもらえる。そういう人間らしく寛容な社会なら、生きやすいと思います。
私自身は会社から給与をいただく仕事が多かったせいもあり、商売やビジネスに苦手意識があったのですが、いまさらながら、近江商人の、売り手も買い手も世間もよし、という「三方よし」のように、お互いに満足いく形で金銭のやり取りをして、さらに社会貢献にもなれば、最高だろうなと感じる今日この頃です。
ただ単に数字だけを見て「不公平だ」と判断してしまわずに、その背景にあるいろいろな事情も考慮しよう。「人間らしく」考えよう! 人間らしく寛容な社会であれば、みんな生きやすいはず!
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