通訳者・翻訳者は、留学経験者ばかり? いいえ、違います。
初対面の人に「翻訳業です」と伝えると、「長く外国に住んでいたのですか?」「やっぱり留学していたんですよね?」という反応が返ってくることが多かったです。翻訳という仕事は専門職であり、英語翻訳なら英語圏に長く住んだ経験があるはず、という公式が成り立つのでしょう。
でも、私自身、何十年も英語の世界に身を置いていますが、留学経験(短期の語学留学ではなく、大学に在籍するなど)のある人は意外にもそれほど多くなかったです。
私自身、留学経験や海外在留経験はまったくありません(笑)。海外旅行に行ったくらいです……。
20代前半から通訳・翻訳スクールに通いはじめました。当時を思い返すと、海外在留経験のあった人は主に、
といった方々でした。でも、私自身の印象としては、せいぜいクラスに1~2人いる程度だったような気がします。
いまも交友関係のある人たちを振り返ってみますと、あくまで私の経験に基づく割合ですが、10人中2人が留学や海外在留経験のある人になります。20代で知り合い、60代になった現在も通訳者として活躍している友人が2人いますが、ふたりとも留学などの経験はまったくありません。
通訳の場合は、留学経験者が若干多い印象も
通訳と翻訳という分野を区別してみると、通訳者のほうが若干留学経験のある人が多いように感じます。確かに外国の人たちと実際にコミュニケーションをとるのが仕事になりますから、やはり留学経験があるほうが有利なのは明白です。
翻訳という仕事は、自宅にこもってひとりで取り組むものですし、通訳と異なり、その場で訳さずに時間をかけて調べられますから、その性質上、留学経験がなくても実践しやすいと思います。
基本的には高い英語力させあれば、通訳も翻訳も仕事にするのは可能なはずです。しかし、現実にはそう簡単にはいきません。
まず通訳に関して、私の経験からお伝えしますと、やはり留学経験がないのはネックでした。さらに言えば、私自身の性格や性質の問題もありました。私が20代で通訳を経験してやはり自分にはダメだ、ムリだと感じた理由は、
もちろん、通訳にもいろんな種類・レベルの仕事がありますから、トップレベルの同時通訳などでは、上記のような能力は比較的必要ではないと思います。英語力のみの勝負になるでしょう。
しかし、一般的には商談の通訳やアテンド通訳などの仕事が中心ですし、とくに新人の頃は大規模な会議のアシスタント的な仕事も多いでしょうから、日常会話レベルの英会話力やコミュニケーション力のほうが大事なわけです。
そうした観点から、やはり留学経験があればかなり役立つと個人的には思います。
翻訳の場合は、逆に留学経験者が少ない印象がある
翻訳についてはどうでしょう? 留学経験のない者にとっては、通訳よりも翻訳のほうが有利なのは間違いありません。いくつか理由をあげてみましょう。
しかし、翻訳においても留学や在留の経験があれば有利だと感じる場合もあります。留学経験がないと不利だと私が実際に感じた点をあげてみます。
もちろん、現在ではインターネットで検索することで、現地の滞在記などから必要な情報を得ることは可能です。しかし、やはり実体験とは違うので、どこか不安が残る、もうひとつ確信が持てないと感じることが多いです。
留学は必須ではないが、その経験はきっと大きな財産になるはず
文部科学省のサイト「トビタテ!留学JAPAN」によれば、「高等教育機関(大学、大学院等)に単位を伴う長期留学をする日本人(社会人も含む)の数は2004年をピークに3割ほど減少し、近年は微増している状況でしたが、コロナ禍の影響で2020年度は更に3割程度減少しました」とのことです。
ただ、海外留学サービスを運営する企業のサイト「留学マナビジン」によれば、「日本人に一番多い留学形態である語学留学を含めると文科省発表の倍以上である」とのことなので、日本の若者が内向きで海外に目を向けていないというニュースが目立つなかで、かなり励まされる情報だと思います。
私自身、18歳か19歳の頃に一度だけ語学留学しようかと迷ったことがあります。しかし、パンフレットをじっと眺めるばかりで、結局、行動に移す勇気はありませんでした。
いまはもう留学願望もほとんどないのですが、若い頃に戻れるものなら、今度こそ絶対に留学して、英語圏の大学で学んでみたいです。人生では何事にもタイミングというものがあります。年をとればとるほど、自分のために好きに使える時間はどうしても減りがちですから、若いうちにチャンスがあればぜひ留学してほしいと思います。
すばらしい経験をするチャンスがあるなら、それをけっして逃さないでほしい
では、いつもながら翻訳本から、みなさんの背中をそっと押してくれそうなフレーズをご紹介します。
パウロ・コエーリョの『アルケミスト 夢を旅した少年』。夢に従い、宝物探しの旅に出た羊飼いの少年が、錬金術師(アルケミスト)に導かれ、人生の知恵を学んでいく物語。
ひとつ目は「幸福の秘密」についての逸話です。賢者のすばらしい宮殿を見学するとき、ある若者は2滴の油が入ったティー・スプーンを渡され、「歩きまわる間、このスプーンの油をこぼさないように持っていなさい」と命じられます。想像がつくと思いますが、目がスプーンに釘づけになっていれば、美しい宮殿の内部をちっとも堪能できず、逆に宮殿のすばらしさにばかり目を奪われていると、油はこぼれてしまいます。
『では、たった一つだけ教えてあげよう』とその世界で一番賢い男は言った。『幸福の秘密』とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ』」
パウロ・コエーリョ著、山川紘矢+山川亜希子訳『アルケミスト 夢を旅した少年』(角川文庫)第1章より
私たちはつい目の前の仕事に気をとられ、周囲の景色や人間の優しさなどが目に入らないことがあります。この教訓を胸に、「木を見て森を見ず」にならず大局的に物事をとらえ、また日々の雑事に忙殺されず、「世界のすばらしさ」につねに気づくようにしたいものです。
スピードや効率ばかり重視せず、人生には「美しいものを見る」経験も大切
いまは常にスピードや効率が求められるご時世ではありますが、人生ではきっと「ムダ」などないと思います(まぁ、そう思わないと私なんてやってられませんよね……)その点で、はっとさせられた一節をやはり『アルケミスト』からご紹介します。ネタバレがありますので、ご注意ください。
年老いた王様から「宝物はエジプトのピラミッド近くにある」と教わり、羊飼いの少年ははるばるエジプトまで冒険の旅をするのですが、宝物は実はそこにはなかったのです。「あなたは物語の全部を知っていたのですね。(中略)そんなことを僕にさせなくてもよかったのではありませんか?」と少年が空に向かって叫ぶと、
「いいや」という声を、少年は風の中に聞いた。「もし、わしがおまえに話していたら、おまえはピラミッドを見なかったことだろう。ピラミッドは美しくなかったかね?」
少年はほほ笑んだ。(以下略)
パウロ・コエーリョ著、山川紘矢+山川亜希子訳『アルケミスト』(角川文庫)エピローグより
これってちょっといいエピソードですよね。なんでこんなムダなことをさせたんだと訴えたら、「ピラミッドを見てよかっただろ? 美しかっただろ?」という答えが返ってくる。私たちは「なんのために?」と目的ばかり重視してしまいがちですが、ときには体験そのものを堪能するだけでもよいのかもしれません。自分が美しいと感じるものをただ見たい、それだけで十分なのかも。そしてその体験がきっと人生において自分のなかで熟成され、いつかどこかできっと実を結ぶと信じたいですね。
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