「これまで仕事一筋に生きてきました」なんてきっぱりと断言する自信は、正直なところありません。
とはいえ、かつて「仕事(翻訳)」は私の人生において大きな割合を占めていました。仕事(翻訳)こそが生きがい、人生における最大の目標、終生追い求めていくものと信じこんできました。
しかし、母の介護を終えて人生に一区切りがつき、仕事をすっぱりとやめてみると、不思議なことに後悔も寂しさも喪失感も一切なく、ただ解放感や幸福感だけがあったのです。
「仕事=生きがい」というのは単なる私自身の盲信だったのかもしれません。
そういうわけで、自分のほんとうの幸せとはなにか、人生の終盤においてなにがしたいのかを考え直しつつあります。そして還暦を過ぎてもなお人間関係で悩んでいる自分をどうにかしたいという思いもあります。
今回は、橘玲著『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)をとおして、自分の過去の生き方を検証してみるとともに、今後の自分なりの戦略を練ってみます。
*本書はかなり刺激的で内容の濃い書籍です。ここでは断片的にしか紹介できませんので、興味を持たれた方、もっと詳しく知りたいという方はぜひ原本をお読みください。
3つの幸福の条件と、それに対応する3つのインフラとは?

まず、どうして「幸せ」になるのが難しいのか、著者はずばりと言い切っています。
ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
それは主に「遺伝子のプログラムと現代の価値観が整合的でない」からだそうです。
このように指摘されると、なんだかほっとしますね。ああ、幸福になれなくても仕方ないのだなと。自分が悪いのではないのだと。
だからこそ本書では幸福になるための条件とその実現方法が詳しく解説されています。
ここではまず、幸福の条件として次の3つを挙げます。
①自由
②自己実現
③共同体 =絆
この3つの幸福の条件は、3つのインフラに対応しています。
①金融資産
②人的資本
③社会資本
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
ひとは金融資本、人的資本、社会資本を「運用」することで〝富〟を得ており、
金融資産は(不動産を含めた)財産、
人的資本は働いてお金を稼ぐ能力、
社会資本は家族や友だちのネットワークのこと、
と著者は解説しています。
そしてこれらの「資本をひとつしか持っていないと、ちょっとしたきっかけで貧困や孤独に陥るリスクが高くなる」のだと。
人的資本――スペシャリストやフリーエージェントとして成功するには?

自分のプロフェッション(好きなこと)を実現できるニッチを見つけよう
著者によれば「ひとは自分が得意なことを好きになる」「好きなことしか熱中できない」「すなわち、嫌いなことはどんなに努力してもやれるようにはならない」のだと。
だからこそ「私たちが自分に合ったプロフェッションを獲得する戦略はたったひとつ、それは仕事のなかで自分の好きなことを見つけ、そこにすべての時間とエネルギーを投入すること」だというのです。
スペシャリストやフリーエージェントとして成功するには、以下が基本戦略となります。
①好きなことに人的資本のすべてを投入する。
②好きなことをマネタイズ(ビジネス化)できるニッチを見つける。
③官僚化した組織との取引から収益を獲得する。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
続けて、次のようにアドバイスしています。
あなたがまだ20代だとして、35歳までにやらなければならないのは、試行錯誤によって自分のプロフェッション(好きなこと)を実現できるニッチを見つけることです。会社のなかで専門性を活かせるごく少数の恵まれたひとを除けば、人生のどこかの時点で組織の外に出て、知識や技術、コンテンツのちからで大組織と取引する「フリーエージェント」化が、高度化する知識社会の基本戦略になるでしょう。——定年という「強制解雇」によって、誰もがいずれは会社を追い出される運命なのですから。
そしてこれだけが、知識社会化と並ぶ時代の大きな変化である超高齢化に適応できる戦略でもあるのです。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
私の人生を振り返ってみると
私の場合は、中学生のころからずっとアメリカの映画や音楽、小説が好きで、英語の成績も比較的よかった。そして翻訳家を志しました。
好きなことを仕事に選んだのは正解でした。では、どこでつまずいてしまったのでしょう?
人的資本のすべてを投入するには、私はやや移り気で、誘惑に負けやすいタイプでした。その結果、かなり回り道してしまい、小説の翻訳にシフトできたのは40歳に近づいたころでした。
そしてマネタイズにも失敗しました。ニッチを見つけられなかった。
十代のころに好きだった小説のジャンルがあったはずなのに、いつのまにか、言葉は悪いのですが、ただの便利屋みたいな翻訳者になっていました(専門分野を有さず、依頼されればどんなジャンルでもとにかく訳す、という意味です)。
それでも努力していれば、いつか好きなジャンルの翻訳ができるのではないか、という甘い希望を抱きつづけていたのです。
やがて映像分野の勉強も始め、少しは仕事をいただけるようになりました。映像翻訳の分野でもノンフィクションからドラマ、映画へと少しずつ仕事をステップアップできたらと考えていました。できれば小説の翻訳とも両立したいと思っていました。
でも、やはりすでに遅すぎた、人生の時間が足りなかった。
まだまだがんばるつもりでしたが、母の介護と仕事のプレッシャーでいつのまにか心が折れてしまっていたのかもしれません。
私の人生は戦略不足だったと思います。「好き」というぼんやりとした感情に基づいて行動してきました。
結婚の失敗もまさにそのせいですね。仕事も結婚も、「好き」の先にどうやって継続していくのか、そのための計画や基盤、覚悟があるのか? そこをよく考えるべきでした。
ただ、個人的な見解として、そもそも「得意なこと=好きなこと」とは限らないかもしれません。あくまで「(好きではないけれど)得意なこと」で勝負するという戦略も有効かとは思います。
社会資本――“人とのつながり”における最適解とは?

「幸福」は社会資本からしか生まれない……
次に社会資本、つまり人間関係について。
私はそもそも人づきあいが苦手だったのですが、HSP気質が年々顕著になっているためか、周囲に気を遣いすぎて疲れることが多い。本音としては、ひとりで行動するほうが断然自由で気楽なわけです。
しかし、いまだに古い価値観や先入観にとらわれているせいもあり、「ひとりで行動する=寂しい人」と思われるのではないかという不安があります。人生のパートナーがおらず、友だちの少ない自分は、人間としてどこかおかしいのだろうか、とまで思いつめてしまうことも。
どうして絆を求めてしまうのか? どうしてひとりぼっちは「孤独」だとされるのか?
著者は「社会資本(家族や友だちのネットワーク)」について次のように解説しています。
しかし社会資本には、とても大切な役割があります。それは、
「幸福」は社会資本からしか生まれない
ということです。
(中略)
なぜ〝つながり〟が幸福感を生むのか。これは、「長い進化の過程でヒトがそのようにつくられたから」としか答えようがありません。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
徹底して社会的な動物であるヒトは、家族や仲間と〝強いつながり〟を感じたり、共同体のなかで高い評価を得たときに幸福感を感じるような生得的プログラムを持っているのです。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
著者がこう言い切ってくれると、またしても自分のなかですとんと腑に落ちた気がしました。人間はそういう生き物なのだから仕方がないのだと。
いくらひとりで大丈夫と思っても、「つながり」を求めてしまうのが人間なのですね。少しばかり気が楽になりました。
ひとりだと寂しいと感じたり、仲間とわいわいと楽しそうにしている人たちをうらやんだりしたとしても、それはどうしようもないことなのだと。
すべての社会資本を政治空間から貨幣空間に置き換える??
では、私はどうすればよいのか? 今後どう生きていけばよいのだろう?
著者からの提案はまたしてもこれまでの常識や予想をはるかに超えるものでした。まず著者は人間関係を以下のように分類します。
人間関係には顕著な濃淡があります。ここではそれを「愛情空間」「友情空間」「貨幣空間」と呼ぶことにします。このうち愛情空間と友情空間は、「政治空間」としてまとめることができます。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
家族や恋人などとの関係が「愛情空間」、そのまわりには親しい友だちとの「友情空間」があり、さらにそのまわりには「友だちではないけど他人でもない」という人間関係がある、先輩・交配や上司・部下を含めたこうしたつき合いが「政治空間」だと著者は言います。
「政治空間は牧歌的な理想郷ではなく、“敵と味方”の殺伐とした世界でもある」のだと。
そして最後の「貨幣空間」について。
これは「他人によって構成され、貨幣でつながる」世界であり、「お金を媒介にして誰とでもつながる」ので、「原理的にその範囲は無限大」というものです。
ところが、私たちの人生において貨幣空間の価値はきわめて小さいといえます。それはなぜでしょう?
これに対して貨幣空間は、農耕と交易によってはじめて成立したのですから、わずか 1万数千年の歴史しかありません。これが、ひとびとが貨幣空間にきわめてわずかな価値しか認めない理由です。私たちは進化の歴史の重さによって、愛情や友情(仲間意識)という古い人間関係に比べて、貨幣を介する新しいつながりの重要性を正しく認識できないのです。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
たしかに私たちは家族の愛情や仲間との友情ばかりをごく当たり前のように重要視しています。
著者によれば、「私たちが愛情空間にきわめて高い価値を置くのは、そうするように進化論的に最適化されているから」そして「友情空間が大切なのも、ヒトが社会的動物だから」とのことです。
でもそれが行き過ぎているからこそ摩擦や軋轢が生じるのかもしれません。家族愛や友情が強調され過ぎて、逆に窮屈だったり苦しみが生まれたり……。
私自身は貨幣空間における、たとえばお店の人とのちょっとした会話が気楽で楽しいのですが、そういう関係を家族や友人との関係と同列に扱ったり、それらに代わる新たなつながりとして認識したことはなかったのです。
しかし、その考え自体が古いのかもしれません。人間関係も古い概念に縛られていてはいけないのでしょう。
複雑きわまりない政治空間(男女や親子の愛憎も含む)に比べ、貨幣空間の際立った特徴はそのシンプルさにあります。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
そして著者は次のように提言しています。
ソロ充を本書の枠組みで説明するならば、「すべての社会資本を政治空間から貨幣空間に置き換えたひとたち」ということになります。
(中略)
究極のソロ充は、恋人や家族とのつながりを捨てる代わりに人間関係が生み出す面倒なこと =煩悩から自由になるわけですから、これは仏教の悟りと同じです。欧米や日本のような先進国では、ゆたかさ(お金)とテクノロジーによって、いっさいの修行なしに誰でも「悟り」の境地に達することができるようになったのです。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
従来の絆やつながりの概念とはかけ離れた、新たな人間関係、新たな生き方、新たな幸せ。
もちろん、この「究極のソロ充」には賛否両論があるでしょう。筆者自身、「こうした『究極の自由』を選択するひとは(私も含め)多くはないでしょう」と述べています。
みなさんはどうお考えになりますか?
人間関係がますます複雑化する現代社会では、他者との関係性に強い感受性を持つ多くの日本人が「困ったひと」に悩み、だからこそ「嫌われる勇気」が求められるのでしょうが、それにも限度があり、状況によってはどんな「勇気」も役に立たないこともあります。しかしこのやっかいな問題には、ずっと単純な解決策があります。それは、「困ったひと」とつき合わない選択の自由を持つことです。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
投資理論で考えれば、「強いつながり」は地元や会社に社会資本を一極集中している状態だということです。
(中略)
それに対して「弱いつながり」は社会資本を分散投資しているので、その分だけリスクに対する耐性は強くなります。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
私はHSP気質のせいか人間関係に疲弊しやすいです。几帳面で真面目な性格も災いしているのでしょう。
もっとおおらかになりたい、テキトーにつきあいたい、といくら心から願ってみても、そう簡単に変われません。他人に気を遣いすぎたり、ささいなことが気になったり、友人に対しても遠慮しがちだったり。
ですから、この書籍を読んで「そうか、その手があったのか」と思わず膝を打ちました。そういう関係性も認められる時代になりつつあるのかもしれないと。
「幸福な人生」の最適ポートフォリオは、大切なひととのごく小さな愛情空間を核として、貨幣空間の弱いつながりで社会資本を構成することで実現できるのではないでしょうか。これをかんたんにいうと、「強いつながり」を恋人や家族にミニマル(最小)化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えるのです。
そのうえでひとつの組織(伽藍の世界)に生活を依存するのではなく、スペシャリストやクリエイターとしての人的資本(専門的な知識や技術、コンテンツ)を活かし、プロジェクト単位で気に入った「仲間」と仕事をします。
橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
私のように人間関係で悩みがちな人間にとっては、このような生き方も意外と悪くないのかもしれません。
実際のところ、私はすでにそのような生き方を実践しつつあります。シニア世代であれば、仕事上や義理のつきあいからやっと解放されて、好きな人たちとのみ交流する人も多いはずです。
それぞれの「幸福な人生」のために

著者はさいごに幸福な人生への最適戦略を以下のように要約しています。
①金融資産 「経済的独立」を実現すれば、金銭的な不安から解放され、自由な人生を手にする事ができる。
②人的資本 子どもの頃のキャラを天職とすることで、「ほんとうの自分」として自己実現できる。
③社会資本 政治空間から貨幣空間に移ることで人間関係を選択できるようになる。(中略)
3つの資本 =資産を一体としてとらえる「幸福の統一理論」を次のようにまとめることもできるでしょう。
①金融資産は分散投資する。
②人的資本は好きなことに集中投資する。
③社会資本は小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散する。橘玲『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)
こうした「土台」のうえにそれぞれが自由な選択で「幸福な人生」という家を建てればいいのだと。
いずれにせよ「幸福」になるのは難しい。本書のラストで著者は次にように記しています。
「なぜ幸福になれないのか。それはすべての限界効用が逓減するからです」
「幸福は逃げ水を追いかけるようなもので、けっして手に入れることができないということです」
『幸福は主観的なものですが、だからこそ「自分の幸福」については自分で考え、「設計」するしかないのです』
私自身、自分なりに幸せを感じられたら、いまはそれで十分です。若いころと違う(ちょっぴり悲しいことではありますが……)。
そう、以前別の記事で紹介した『名建築で昼食を』の登場人物の名言どおり。
「世間とか周りとかってあんまり気にしないし。でも本人的にはそれなりに幸せなんだよ。自分がそれなりに幸せだったらいいんじゃないのかな」

かつて翻訳を生業としていたせいか、いまだにきちんと伝えたい、伝えなければという気持ちが強いのですが、今回はとくに苦労しました。原本の内容が濃すぎて、エッセンスを伝えることすら難しい。
それでも少しは誰かの役に立つことをいつもながら願っています。最後までお読みいただき、ありがとうございました!













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