現在60歳になる私は、30代後半で出版翻訳を目指して勉強を再開し、40代から実用書やノンフィクション、ノベライズ、ロマンスなどの翻訳を経て、40代半ばでようやく念願のエンタメ小説の翻訳に携わることができました。
それまでは主に英語学校で講師や教材作成の仕事をしたり、特許事務所で翻訳を担当したりしていましたから、出版翻訳はやはり未知の世界でした。翻訳スクールに通い、出版翻訳に関する情報も多少得ていましたが、実際にその世界に足を踏み入れてみると、勝手が違うというか、驚くことも多々ありました(笑)。
今回は、翻訳者を目指して学習中の方々に、知られざる(?)出版翻訳のお仕事について、私の経験談をお話ししたいと思います。
ただ、あくまでも個人の経験談ですので、必ずしもこの業界のスタンダードというわけではないかもしれません。その旨をご了承くださいね。
予想外につらかったこと
1.ものすごく修正される(笑)
翻訳スクールでは訳文を講師に修正されるのは当たり前ですよね。私は愚かなことに、プロになれば、プロとして認められたなら、それほど訳文を修正されないと思いこんでいました……。
いえいえ、(自分がダメ翻訳者だからかもしれませんが)とんでもなく直されます。依頼元の出版社や担当編集者さんによって手順は異なりますが、たとえば、まず編集者さんから第1稿の段階で修正案がたっぷり返ってきて、こちらで修正後、今度は校正者さんからも表記や事実関係なども含めた細かい指摘があれこれ記入されたゲラが戻ってきたりします。
どれくらい修正案を提示されるかは編集者さんによってもかなり変わりますが、直す人はとことん直してくれます(涙)。よい翻訳にするための作業ではありますが、けっこうへこみますね……。
修正案どころか、有無を言わせずこちらの訳文をまるごと直してしまう編集者さんもおられました~。いやまぁ、こちらも頭をひねってよりよい形に修正する手間は省けますけど、やはり翻訳者に再考させてほしかったというのが本音ですね。
編集者さんや校正者さんの指摘はもちろん的確ですから、翻訳者としてもきちんと修正したいのです。ただ、文章の一部分だけを直すのはなかなか大変でして……。翻訳者としては最適な文章を捻りだしたつもりですから、それをさらによいものにするのは至難の業です。一部に手を入れると全体に影響が出る場合もあり、結局かなりの修正を加えることもあります。
そんなわけで初校が戻ってくるときは心底ドキドキいたします。
2.翻訳原稿をばっさり削られることもある
これは実用書や超有名なロマンス小説のレーベル作品の翻訳で初めて知ったことなのですが、どうやら翻訳書として出版する際にそもそも全体のページ数がある程度決まっているらしく、こちらが原書どおりに翻訳してもあとから訳文を削っていく作業が入ってきます。
個人的には驚愕しました(笑)。原書は絶対的なもので勝手にいじってはいけないと信じこんでいましたから……。
まれに通常のエンタメ小説の分野でも、児童書の場合には編集者さんの手でばっさり削られるケースもありました。確かに冗長な部分や日本人にはちょっとピンとこない部分もあるからでしょう。児童書の場合、あまり分量が多いと読者に手に取ってもらいにくいという理由もあるようです。
「本も商品なのだ!」と私はようやく気づきました……(笑)。本好きの私にとって、本は特別なもので、店頭に並ぶ他の商品と同列にはとらえていなかったのですね。
当然ですが、本もやはり商品なので売れなければ困るわけです。だからこそ出版社では日本の読者に受け入れられるように工夫を施すのですね。
この点に関してもうひとつ困惑したのが、先方から詳しい説明や指示がほとんどないことでした。初めて実用書を翻訳した際、ゲラの段階で訳文を削る必要があったらしいのですが、こちらには前もって何も指示をいただけなかったのです。
個人的な印象では、出版業界ではたとえこちらが新人であっても詳しいスケジュールや手順などを逐一説明してもらえないような気がします。すべてざっくりした感じですね。わからなければこちらから尋ねたらよい話ではありますが。
3.翻訳以外の作業を伴う場合もある
これは依頼元の会社や分野などにもよるのですが、翻訳原稿以外にも資料を作成して提出するように求められるケースがありました。
まだ新人の頃、先ほど述べたロマンス小説の大手レーベル作品をある編集プロダクションの依頼で翻訳した際、翻訳に関する細かいルールを順守するのはもちろんのこと、詳しい登場人物リストやあらすじ、固有名詞リストなどを用意する必要がありました。
なにしろ新人ですから翻訳作業そのものにも苦労するうえに、たくさんの資料を用意して提出するとなるとかなり大変だった記憶があります。慣れればなんとかなるものですが。
ちなみに出版翻訳ではありませんが、映像翻訳でも表記などを調べてきちんと裏どりし、表にまとめて提出する作業が必須でした。
大手出版社のエンタメ小説などの場合、資料の提出を求められるケースはほぼありませんので、調べ物は必要であってもそれは翻訳者が個人的に情報を持っておけば済みます。翻訳作業に集中しやすいと思います。訳者あとがきを依頼されるケースもありましたが、それは訳了後、初校、再校と校正作業がかなり進んでからのことですので、それほど締め切りに追われることはないでしょう。
予想外にうれしかったこと
1.翻訳作品が映画化やシリーズ化されることもある
これは翻訳者にとっては超ラッキーな部類に入ると思います。私も一度だけ翻訳作品が映画化およびシリーズ化され、ありがたいことに増刷によって印税収入も増えました。そもそもの印税率がかなり低かったのですが、だからこそとても喜んだことを覚えています。
作品がシリーズ化されると、しばらくは安定した仕事量を確保できるので、翻訳者にとってはありがたい限りなのです。フリーランスはつねに先行きに不安がありますから。
ただし、収入面ではうれしい半面、映画化やシリーズ化によってスケジュールはけっこう厳しくなってきます。映画化の際には字幕翻訳のチェックを無償で頼まれたこともありますし、映画公開にあわせて続編を出版したいという出版社の意向にそうため、恐ろしい過密スケジュールをこなしたこともありました。
こうした幸運が訪れたのは出版翻訳の世界に入ってから十年目くらいでしたので、やはり何事も十年続けたら運が巡ってくることもあるのだなぁとしみじみと感じたものです。
2.担当編集者さんからうれしい励ましの言葉をいただくこともある
翻訳小説もやはり読者に手に取ってもらえてナンボですから、出版社側もタイミングよく、読者にアピールできる形で店頭に並べたいわけです。そんなわけでたいていの場合、翻訳者のほうで厳しいスケジュールに対応する必要がでてきます。
締め切りがきつかったり、ゲラの直しが大変だったりと苦労して仕上げた作品の見本が送られてくるともう感無量です。そこに編集者さんからあたたかいねぎらいの言葉が添えられているとほんとうにうれしいものです。
もちろんお世辞も入っているのでしょうが、やはり喜ばしいことに変わりはなく、今後の励みにも大いになります。編集者さんはみなさんやはり筆まめな方ばかりで、いつも一筆箋などでひと言添えてくださるのがうれしいです。
さいごに
あくまで私個人の経験談ですので、みなさんがプロとして活躍される際に必ず当てはまるわけではないでしょうが、なんらかの参考になれば幸いです。
どんな仕事も実際に関わってみないとわからない部分がありますよね。もっとも大事な翻訳という作業以外にも、コミュニケーション力やスケジュール管理能力はもちろん、不測の事態にも対応できる柔軟性も必要なのでしょう。
みなさんがさまざまな困難を乗り越えて、初志貫徹し、翻訳の世界で活躍されることを願っています!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よい一日をお過ごしください
コメント