【ご報告】母が他界しました。12年間の介護生活の終了です。

【ご報告】母が他界しました。12年間の介護生活の終了です。

こんにちは。11月末に母が急性心筋梗塞で亡くなりました。87歳でした。

脳出血の後遺症で右半身に麻痺があり、不自由な生活を送っていましたが、それまで多少の衰えはあってもごく普通に日常生活を送っていたので、私自身あまりに急なことで茫然自失のありさまでした。人の命ははかないものだとあらためて感じました。

今回は私の介護生活を振り返ってみて、自分なりの所感、学びや気づきについてお伝えしたいと思います。いま介護中の方々や将来の介護に不安を抱いている方々にとって少しでもお役にたてば幸いです。

目次

恐れていた最悪の事態は起きなかった……

金色や茶色のもや

母は12年前に脳出血で倒れ、片麻痺となりました。入院から回復、リハビリ、そして退院となり、その後数年間は自宅での介護はまだそれほど大変ではなく、母の体の機能がさらに回復するという期待を抱いていました。

しかし、母の介護が長引くにつれて希望は消えていき、不安が増すばかりとなりました。

介護の後半戦では、母は拘縮が進み、体の動きが一層不安定になり、転倒骨折を繰り返し、入院手術となるケースもありました。転倒して頭部を打撲し、血まみれになった母を見つけたことも何度かありました。

要介護度も2から4へと徐々に上がっていったのです。認知機能の低下、排尿障害などその他の問題も発生しました。日中ぼんやりとして過ごすことが増え、何に対しても興味を示さなくなっていました。デイサービスで一日を過して帰宅後にその日のことを尋ねても、何一つ覚えていないことも多くなりました。

ふたたび転倒骨折となれば今度こそ自宅に戻れないのではないか? そのまま入院、寝たきりとなってしまうのでは? 認知症を発症し、施設入所を余儀なくされるのでは? このままじわじわと心身ともに衰えていく母を介護し続け、やがて老々介護に突入することになるのか?

日本人女性の健康寿命とされるちょうど75歳で母が倒れたことから、60歳を超えた私にとってはもはや残された人生の時間が少ないと感じ、内心焦っていました。自由に動き回れる期間はあと15年程度でしょう。私の残りの人生は母の介護で終わってしまうのだろうか……。

しかし、別れはまったく予期せぬ形で突然訪れました。いつもと変わらず夕食を終えた母は、その後いきなり倒れてそのまま帰らぬ人となりました。あっけない死でした。

私の介護生活はこうして終わりを迎えたのです。

結局、先の見えない介護生活に不安を覚え、ときには将来に絶望したこともありましたが、終わったからこそ言えることとはいえ、そんな不安も心配も絶望も無用だったのです。もちろんベストなタイミングで母が旅立ってくれたわけではありません。コロナ禍で叶わなかった海外旅行にもせめてもう一度だけ連れていってあげたかった。

母の片麻痺についても、私自身、まだあきらめたわけではありませんでした。少しでも改善することを願い、鍼灸治療なども検討していたところだったのです。

それでも、母が他界した寂しさはもちろんありますが、半面、無事に見送ることができ、もはや転倒の心配もない、母との将来を悲観することもないと悟り、正直心の底からほっとしたことも事実です。

親の介護で日々不安を抱えている方も多いと思います。でもこのように、残された私にもまだ人生を楽しむ猶予があるタイミングでちょうど母にお迎えが来たケースもあるのだとお伝えしたいのです。先の見えない介護生活はほんとうに苦しいけれど、こんなふうにあっけなく終結する例もあるのです。私自身、悲しいけれど、ある意味では信じられないほど恵まれた終わり方でした。

私自身、最悪の事態を想像しては不安におびえていたが、そんな事態にはならずに介護が終わりを告げるケースもある。いろいろな事態を想定して対応策を検討しておくことは大切だが、不安や悩みに押しつぶされてしまわないように「なんとかなるさ」という考え方も必要。

シングル介護だからこそ相談相手を早く見つけるべきだった……

介護の形は人それぞれ異なりますし、抱えている悩みも当然ながら違うでしょう。私個人の経験がどこまで役に立つかはわかりませんが、私自身がシングル介護をするなかで痛感したことをお伝えするとしたら、とにかく相談できる相手や、いざというときに頼れる相手が必要だということです。

1.要介護者のために具体的に対応策を考え、実行してくれる人

パステルカラーのもやに金色の星のデザイン

介護中は何が起こるかわかりません。とくにシングル介護をしているとついひとりで抱えこみ、悩んでしまうこともあるでしょう。そんなときにはやはり専門家に頼るのが一番です。

まずは担当のケアマネジャーや地域包括支援センター、さらに利用中のデイサービス、訪問リハビリの理学療法士、かかりつけ医などが考えられます。

私のケースでは、自分自身が入院することになった際には、ケアマネジャーさんに相談して母をショートステイで1週間ほど預かってもらうことになりました。リハビリの悩みや歩行訓練のことなどは、訪問リハの先生によく相談させてもらいました。

こうした専門家はプロとして助言してくれ、具体的に対処法も教えてくれます。母の転倒が続いた際には、訪問リハの理学療法士さんに相談して手すりを自宅に設置し、さらに杖を4点杖に変更することになりました。

介護上の問題や課題がはっきりしている場合、専門家に伝えて解決策を明示してもらえるはずです。最終的に決めるのは当事者とはいえ、ひとりで悩んだり対処したりする必要はないのです。

2.介護者の精神面・心理面のサポートをしてくれる人

淡い色調の光の背景にブルーのライト

私は悩みがちで、メンタルの弱い人間でしたので、こちらのサポートも必要だったと痛感しています。介護者が精神面でのサポートを必要としている場合、どこからそのサポートを受けるか、なかなか難しいと感じました。

私個人の経験では、少なくとも上記の介護の専門家たちはあくまで要介護者の母を支援する人たちであり、介護者の私を支援するという立場ではないからです。基本的に介護者に対する支援はあまり期待できません。

介護者としてレスパイト(休息、息抜き)を勧められることもありましたが、そのためにはけっこうな事前準備(母のショートステイ先の見学、契約、お泊りの用意など)を必要とするので、私自身は積極的に利用する気にはなれませんでした。

そうなると、やはり話を聞いてもらえる友人や知人、カウンセラーなどの専門家、公的な心の相談窓口などが必要な場合もあるでしょう。

とにかく悩みを聞いてくれる、苦しみをわかってくれる、ただ寄り添ってくれる、という人がいるだけで心強いと思います。

そういう相手を見つけること自体が難しいときは、自治体が提供している心の健康相談ダイヤルなどを頼ることもアリだと思います。誰かが自分の悩みに耳を傾け、寄り添ってくれるだけで、救われることもあると思います。

介護にはさまざまな問題がつきもので、ときには想像だにしなかった事態も発生するので、頼りになる専門家のチームをつくっておくことが大事。同時に介護者である自分自身の心身の健康を維持するための体制づくりも怠らないほうがよい。

最後にひとつ後悔として、母をひとりの大人としてちゃんと扱うべきだった……

淡いピンクや金色、グリーンのもやのデザイン

晩年、母は認知機能がかなり衰え、自分の意志もほぼなくなっていました。ですから、母を子ども扱いしてしまうことも多かったと思います。なにもかも私が決めて、それを受け入れるだけの母。庇護する対象でしかない存在。

それでも最後に1泊2日の国内旅行に連れていったときには、おいしいと言って食事を存分に楽しみ、美しい朝焼けをきれいだと何度も繰り返し唱え、私にとっては昔の母が帰ってきたような気がしました。

よい意味での刺激をもっと受けられたら、大好きなものに出会えたら、きっと反応してくれるはず。

そして、いくら心身ともに弱っていても、精神的に母を頼りにしたり、自分でできることは少しでもやってもらったりすればいいのだ。何もかも私がやってあげないといけない、守られるだけの人間、何もできない人間として扱うべきじゃない。

そんな風に思い直して、介護やリハビリのやり方も再考しようと決心していた矢先、母は他界してしまいました。もっと早く気づいていれば……。

私は往生際の悪い人間ですので、何度も何度もあきらめかけてはあきらめきれず、あがき続けてきました。苦しかったし、つらかったけれど、自分なりに精いっぱいやったのだと自分に言い聞かせています。

個人的な見解だが、母をひとりの大人としてもっときちんと扱うべきだったと後悔している。頼れるところは頼る、やれることを見つけてどんどんやってもらう、そんなふうに接したかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
みなさんにとって少しでも慰めや励みとなればうれしいです。
どうぞよい一日をお過ごしくださいね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次