前回「ひとりぼっち=孤独」じゃない!? ―孤独について私感―において、私自身の離婚のエピソードをご紹介しましたが、その後日談も「孤独」に通じるかもしれない(?)ので、お話しさせてください。
会うはずもない場所で元夫に遭遇した!
あれは泥沼離婚(!?)から1~2年経った頃でしょうか。私は実家に戻り、以前の職場で英語講師の仕事に本格的に復帰していました。結婚を機に仕事を減らしていたんですね。
精神的にもすっかり安定していたと思います。実は、元夫とは家庭裁判所での調停を経て離婚していますから、別居してから離婚までやはり肉体的にも精神的にもきつかったです。
結婚するときももちろん生活が一変することが多いでしょうから同じく大変ですが、たぶん新生活に期待しつつ行う準備のあれこれと、すでに精神的に疲弊して希望も持てないなか、生活を変えざるを得ない状況では、すべての意味で雲泥の差なのでしょうね。
とにかく精神的にも物理的にもようやく落ち着きつつあったとき、元夫をごく間近で見かける機会があったんです。
大阪なんば駅の繁華街。会うはずもない場所でした。夫は兵庫県の人で、私は大阪府在住。同じ繁華街でも大阪北部の梅田ならまだしも大阪南部のなんば駅近辺ですから、驚いたのなんの。一瞬、ぎくりとしました。
私は仕事帰りだったと思います。おそらく午後6時~7時くらいだったでしょうか。相手は気づいていません。元夫のそばには同年齢くらいの1名の男性と2名の女性。元夫はにこやかに談笑しています。私の記憶に残っていた離婚時の形相とはまるでかけ離れた、穏やかな笑顔でした。
大勢の人が集まる定番の待ち合わせ場所ですから、どんな会話を交わしているのか、しゃべっている声までは聞こえませんでした。
ですが、すれ違ったときの雰囲気から、どうやら女性を紹介され、これからダブルデートをするといった印象を受けました。なごやかな雰囲気とはいえ、おそらく初対面らしい距離感も見受けられたからです。
まぁ、私の勝手な妄想かもしれませんが(笑)。
そのとき私の心情は? 怒り、未練、嫉妬、寂しさ?
いずれにせよ、私がどんな気持ちを抱いたか、想像してみてください?
いまだくすぶっていた怒りがこみあげた? 元夫に未練があって、嫉妬心がメラメラと燃えあがった? もうさっそく他の女性とつきあうのか、と悲しくなった? 離婚時を思いだしてつらくて、悔しくてたまらなくなった?
いいえ。なんの感情もわかなかった。元夫の姿を偶然見かけて驚きこそすれ、他になんの感慨もわかなかった。何も感じなかったのです。
逆に、私は何も感じないことを悲しいと思いました。一度は愛情を抱いて一緒に暮らした人に対して、離婚したとはいえ、しばらくして何ひとつ感じなくなるなんて。
私がおかしい? 薄情なのでしょうか? それはわかりません。でも、私自身、ああ、人間は忘れることのできる生き物だな、でないと生きていけないからだ、としみじみと思いました。
でも、未練、嫉妬、怒り、悔しさ、愛情、悲しみ、寂しさなど、なんらかの思いを少しくらい抱いてもよいだろうに、まったくの無感情だったことが私自身、恐ろしかった。怖いと思いました。
どんなに強く激しい感情や思いがあったとしても、それはすべて過去になり、忘れ去られてしまう。
もちろん、いつまでも消えず永遠に残る思いもあるでしょう。でも私の人生において大きな意味を持っていたはずの結婚やその相手が、私の胸のなかでは存在が消えていたと思うと、なんとも不可解でむなしいような、いや、過去は過去として消えてすがすがしいような心持ちがしました。
皮肉かもしれませんが、いまになっても、久しぶりに遭遇した、あの一瞬の光景だけは脳裏にまだ浮かびます。もっと幸せだったときのことを思いだせばいいのにと思うのですが(笑)。
万物流転。どんな悲しみも苦しみも永遠ではない。
私が薄情で冷たい人間なのかもしれません。どちらにせよ、私は思うのです。
望むと望まざるとにかかわらず、時の流れとともに自分自身も、自分の思いも、自分を取り巻く状況もいやおうなく変化していく。
だから、どんなにつらくても、悔しくても、悲しくても、その気持ちに永遠に苦しめられることはない。万物のみならず人の思いも流転する。いまはどん底であっても、いつかきっと光は見えると思います。
誰かと完全に思いを分かちあい、理解しあうことはあり得ない。人間は、究極的には「孤独」な存在。だからこそ、少しでも誰かと思いを交わすことができたら、それは十分に幸せなことだろう。いまはそんなふうにも思えます。
いま悲しみや苦しみの渦中にある人が、少しでも気をまぎらせ、慰めを見いだしてくれたらうれしいです。
おまけのお勧め小説 村上春樹の短編「トニー滝谷」
この記事を書きながら思いだした、お気に入りの短編小説をひとつご紹介します。村上春樹の短編集『レキシントンの幽霊』収録の「トニー滝谷」。
ずいぶん昔に、市川準監督、イッセー尾形、宮沢りえ主演の映画版を見て、この原作小説のことを知りました。なんと贅沢なことに音楽は坂本龍一さんが担当していたんですね。
映画では、横浜の高台にある空地に建てられたオープンセットが独特の空気感をかもしだしていて、宮沢りえさんはただただ美しく、坂本龍一さんの美しいサウンドとともに、当時、心から魅了された作品です。
村上春樹のこの短編の魅力を伝えるのは私の筆力では到底叶いません。この作品をご存じなかった方はぜひご一読を。
やはり一節だけを引用しておきます。
レコードの山がすっかり消えてしまうと、トニー滝谷は今度こそ本当にひとりぼっちになった。
村上春樹『レキシントンの幽霊』(文春文庫)収録「トニー滝谷」より
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