自信とはなんだろう?
「自信」とは、辞書の定義によれば「自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと」(小学館 デジタル大辞泉)。
私は若いころから自分に自信がなかった。「自信」とは、学歴や経歴、出自、容姿、性格など、世間一般からするとそこそこ「立派」「優秀」と見なされる要素が備わっていなければならない、と思いこんでいたからだ。
劣等感に悩まされていた自分にとっては、自分で自分の能力や価値など到底信じられなかった。信じるための根拠がひとつもないと考えていたからだ。
だからこそ資格を取得せねば、経歴アップが必要だ、と躍起になっていた。
目からウロコだった、岡本太郎にとっての「自信」とは?
そんな先入観にとらわれてきた私は、当然ながら50代後半に入っても自分に自信のない、なんだか中途半端な人間のまま、生きていた。
しかし、ひょんなことから岡本太郎の『自分の中に毒を持て』(青春文庫)を読み、自分が「自信」について誤解していたことに気づいた。
“どうしてそんなに自信があるんですか”、“自信に満ちていてうらやましい”と言われることに対して、岡本太郎はこう書いている。
だが、ぼくは自信があるとは思っていない。
自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
ただ僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。それは己自身をこそ最大の敵として、容赦なく闘いつづけることなんだ。
自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なのだ。それは“絶対”なんだ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春文庫)(第一章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない “捨てる主義”のすすめ)
ひょっとしたら、著者の主張とは少しずれているのかもしれないが、私自身、この文章を読んだとき、「ああ、そうか、自分が何かを持っているから自信があるのではない。誇れるものがなにひとつないとしても、それが今の己自身だと自分で自分をまず認めてやることが大切なんだ」と目からウロコが落ちた気分だった。
自分は自分でしかない。他人と比較してはいけない。
それから、私は無理に自分を大きく見せることをやめようと誓った。自分に厳しくするのはやめて、ありのままの自分を受け入れることにした。自信があるわけではないけれど、私は私、これでやっていくしかない、これでやっていくんだ、という覚悟とともに、以前にはなかった「自信」のようなものを感じている。
ひょっとすると世間一般ではこれを「開き直り」と呼ぶのかもしれない(笑)。いや、でもとにかく自分が気楽にのびのびと生きられるようになったから、めでたしめでたしってことにしよう。
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