いやぁ、久しぶりに猛烈に嫉妬しましたね(笑)。著者のことを心からうらやましいと感じます(もちろん、ご本人の隠れた努力や生まれ持った能力はおいておくとして)。
今回は60代にして私自身があらためて「自由」について考え直すきっかけとなった本をご紹介します。
自由を獲得するために生きる
著者の森博嗣(もり ひろし)さんは、代表作『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』などで知られる人気作家。
小説家になることなど夢見たことがなかったのにベストセラー作家になり、「結婚を『人間のあるべき姿』であるとか、『理想の人生』だという人がいるけれど、誰が決めたのだろう、余計なお世話だと思う」と断言しながらも妻子に恵まれ、30代に自身で設計した家を建て、のちに小説家として手にした多額の印税により億単位の土地と屋敷を手に入れて……。
「嫉妬の感情というのは、自分が欲しいものを、相手がもっているときに起こる」とメンタリストDaiGoさんが記していましたが、まさにそのとおり、やっかんでしまいましたよ~(笑)。
いいえ、嫉妬するなんてお門違いなのです。わかっています。著者は自由になるため、思いどおりに生きるために、戦略的に考えた結果、小説家になっただけのこと。ふつうにはなかなかできないことを成し遂げたのです。
著者の「自由」のとらえ方が独特で哲学的というか(本来はそれが正しい理解なのかもしれませんが)、けっこう衝撃を受けました。「自由」の意味をあらためて真剣に考えていなかったからかもしれませんが。
結論からさきに書くと、「人生の目的は自由だ」と僕は考えている。自由を獲得するために、あるいは自由を構築するために、僕は生きている。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 1章 人生の目的は自由の獲得である
自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由」なのだ。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 1章 人生の目的は自由の獲得である
「自由の虜」になる
作家というのは、ある種多くの人が憧れる職業ではないでしょうか? 芸術家、自由人、創作の密かな楽しみ、印税による悠々自適な生活など、私のような凡人は肯定的なイメージを抱きがちです。
ただし、小説家になるのは幼い頃から読書にいそしみ、自然と創作に携わるようになった、なんらかの思想の持主であり、何かを伝えたいことがあるからこそ筆をとる、そんなふうに勝手に理想像を描いていました。
ところが、なんと森さんはそんな理想像とは正反対(?)の作家さんであり、まずその点に個人的に驚愕しました。しかも堂々と「金のため」とわざわざ、すがすがしいまでに断言しているのです。
僕にとっては、書くことは自由を楽しむためのものではない。そうではなく、仕事で稼いだ金で自分のやりたいことができる、そのための交換手段なのだ。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 2章 他者からの支配、社会からの支配
大学院終了後に国立大学に就職し、国家公務員となり、40歳近くになって初めて小説を書き始め、「たまたま書いてみたら、それが仕事になって、以来ずっとアルバイトとして文章を書いている」というなんともうらやましい経歴と思ったのですが、著者の考える「自由」は気楽なものではないらしく……。
僕がいいたいのは、「自由」が、思っているほど「楽なものではない」ということである。自分で考え、自分の力で進まなければならない。その覚悟というか、決意のようなものが必要だ。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 2章 他者からの支配、社会からの支配
私は漠然と「自由」を気楽に、好きなように生きられる状態のようにとらえていましたし、「自由」なんて自分にはとうてい獲得できないとはなから努力を放棄していました。でも、根本的に「自由」のとらえ方が違うのですね。
目指すものは、自分で決めなければ意味がない。
本当の自由がそこから始まる。
目指すものへ向けて、少しずつ近づいていく自分、それを体感する楽しさ、そして、おそらくは辿り着けないかもしれないそのゴールを想うときの仄かな虚しさ、でも、とにかく、その前向きさが、自由の本当の価値だと僕は思う。
この価値を一度知ると、もう自由の虜になるだろう。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 2章 他者からの支配、社会からの支配
ある程度の高みに至ったときには、自由を感じることができる、と著者は述べています。
たとえば私の場合、翻訳についても研鑽を積むことで自分の能力を完全に引きだせたら、きっと自分の思うように訳せるのかもしれない、自由自在にできたら、もっと楽しいだろうな、とよく感じていました。
残念ながら、私の翻訳人生においては、その高みに辿り着く前に力尽きてしまったようです(笑)。まぁ、ずっと力み過ぎていましたからね。
ですから、あくまで私の勝手なイメージではありますが、森さんのように理性的かつ合理的に自分の人生を飄々と生きている方がうらやましい。心底、憧れてしまいます。
自分が何に支配されているのか、よく考える
さて、自由を獲得するために、著者は次のように述べています。
- 考えること。自分が何に支配されているのかをよく考える。それが「支配」であると気づくこと。(たとえば、「自分の思い込み」が障害となっているし、また、その思い込みの多くは、誰かが仕掛けた宣伝的な情報に起因している)
- そこから自由な発想が生まれる。自由に発想すれば、自然と自在な行動ができるだろう。
- 自由をぼんやり頭で思っているだけでは改善しない。なんらかのアクションを起こさなければ、現実は変化しない。前進もありえない。
そうでしょうとも。わかっていますよ。でもね、言うは易く行うは難しなんですよ。と、ついグズグズ言いたくなっちゃいますが、そんな私に著者はずばり指摘しています。
もう20年以上もまえに僕が見出した法則の1つに、「悩んでいる人は、解決方法を知らないのではなく、それを知っていてもやりたくないだけだ」というものがある。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 4章 支配に対するレジスタンス
だから、逆説的にいえば、いつまでも不自由が続く理由とは、それを許容していること以外にない。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 4章 支配に対するレジスタンス
これは耳の痛い指摘ですよね。まさに図星です。60代になり人生の終盤を意識して初めて、私は自分自身で自分を不自由な状況に追いやってきたのだと悟りました(涙)。
自由を束縛していたのは、「乗り越えられないと信じていた困難」「あると思い込んでいた限界」だった!
筆者の「40歳近くになって、なんとなく小説を一作書いてみたら、それが本になり、たちまち小説家になり、現在の仕事になってしまったのだ」という“幸運”についての主張も、これはもうやられたと素直に思いました。
僕は、「自分には小説なんて書けない」とは一度ども思わなかった。どんなに国語が苦手でも(偏差値は40点以下だったと思う)、書けばそれなりに書けるだろうと、と思っていた。
森博嗣『自由をつくる 自在に生きる』(集英社) 5章 やっかいなのは自分による支配
自由を束縛していたのは、「乗り越えられないと信じていた困難」「あると思い込んでいた限界」だった、という例が実に多い、と著者は語ります。そして、本当にできないか? 絶対に不可能なものか? 考えもしないうちから諦めていないか? と問いかけています。
たしかに振り返ってみれば、私が出版翻訳や映像翻訳に携わることができたのも、絶対にできる、やってみせると自分に言い聞かせていたからかもしれない。逆に通訳については少しやっただけで、やっぱり私には無理、とすぐにあきらめてしまったのです。
もちろん、絶対にできないものもあるでしょうが、たいていは自分で自分の可能性を狭めてしまっているのかも……。
さいごに
自分が不自由に感じていること、もっと自在に、思いどおりにできたらいいのにと思うことを、あらためて再考したいですね。そして著者が提案しているように、自分の目指す自由に向かって毎日少しずつ前進していきたい。本書を読むことで、そんな覚悟を新たにした次第です(笑)。
嫉妬して嫌な気分になったりすることもある読書ですが、やはり大きな学びや気づきのチャンスを与えてくれますね。
「自由」とは奥が深いものですね……。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なんらかのお役に立てばうれしいです!
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