60代女性 自由になりたい! 心も体も解き放たれたい! ~こういう不自由さから解放されたいモノ・コト13選~

60代 自由になりたい! 心も体も解き放たれたい! ~こういう不自由さから解放されたいモノ・コト13選~

近頃、「なんだか不自由だな……もっと自由になりたいなぁ」と感じることが増えました。

心身ともに依然として様々なものにとらわれているとわかりました。以前ご紹介した森博嗣さんの『自由をつくる 自在に生きる』を読んでから、「自由」の意味をあらためて考えるようになったからかもしれません。

物理面のみならず、思考のクセや固定観念からも自由になりたいと感じています。日常の「あれっ?」「なんかモヤっとする」などのささいな違和感を見逃さず、変化や改善につなげていきたいです。

今回は個人的に「こういう不自由さから解放されたいモノ・コト13選」という内容でお送りします。昭和世代のひとりの60代女性が自由になるために日々心がけている事柄。少しでもお役に立てば幸いです。

長い記事になっているので、興味のある部分だけ飛ばし読みしてくださいね。

目次

物理的、肉体的な「不自由」から「自由」になりたい

明るいブルーや紫色のモヤの画像

1.あふれているモノ、モノ、モノから

モノが多ければ多いほど管理やメンテナンスに手間がかかりますし、乱雑な様子を目にするだけで気が滅入ります。不要品を処分し、空間を広く使えるようにすると、掃除もしやすいし気分もすっきり。

いつか読むかも、いつか使うかもしれない、捨てるのはもったいない……という品々は思い切っていったん処分。必要になったらまた買えばいい(でもたいていの場合、捨てたらもう忘れてしまいますよね

常備する生活用品がなるべく少なくなるように、たとえば洗剤や清掃用品などはトイレや風呂、台所と家じゅうどこでも使用できる商品(ウタマロクリーナー等)を1種類のみ選ぶようにしています。

2.体の不調から

疲れやすい、体力がない、ひざや腰が痛いなどなど……。

もちろん医師による治療が必要な場合もあるでしょうが、私の場合は長年にわたる在宅での翻訳の仕事や介護生活に起因する運動不足をまず解消することに。

そこで一駅歩いてスポーツクラブに通いはじめました。初回無料でパーソナルトレーナーによる指導を受けられたのも有益でした。自分の悩みを伝え、マシーン等による具体的な訓練法を知ることができました。さらに、冷えが悩みのひとつだったのですが、ホットヨガに参加することで体の芯からほぐれ、リラックスできるようになった気がします。大げさにいえば自分の体の内部から「整っている」ような感覚があります。

適度な運動は心身ともに健康につながると再認識しています。

3.物理的な意味で、重い荷物から

以前、ライブハウスに行く機会があり、サコッシュひとつで出かけたのですが、そのときの身軽さや自由な感覚がとても新鮮でした。

それ以後、かばんそのものはもちろん中身についても徹底的に軽さにこだわるようになりました。無用なものをなるべく携行しない。「万一~した場合に備えて」というリスク管理も大事ですが、行き先や用事に応じてなるべく割り切ることで荷物をとことん減らす。

身の軽さは心の軽さにも通じるのではないかと思います。

4.掃除や洗濯、買い物など煩雑で面倒な日常的な家事労働から

ふだん面倒だと感じがちな家事についても、少しでも楽にできる方法はないかと考えています。

すでに実行している方も多いと思いますが、バスタオルなどは大判のものを使用せずフェイスタオルなどに統一すると、洗濯がいっきに楽になりました。

さらに掃除機を思い切ってやめてみました。掃除機そのもののメンテナンスがあまりにも邪魔くさかったからです。充電、ゴミ捨てや定期的な洗浄クリーニング等々。

その代わりに箒とはたき、ちりとりを使用します。箒なら狭い場所もこれ一本でほこりを掃き出せます。もちろん掃除機は便利なのですが、シンプルでメンテもほぼ不要の伝統的な道具をもっと活用したいと思っています。自然素材の上質な道具は、廊下に吊るしておくとなかなか美しいものです。

精神面での「不自由」から「自由」になりたい

淡いピンク色やブルー、グリーンのモヤの画像

5.嫉妬や羨望、コンプレックスから

以前、他人の話が自慢に聞こえることがよくありました。たとえば「モテ自慢」。モテ期がほぼゼロだった私のコンプレックスのせいで「モテ自慢」に聞こえていたにすぎなかったようです~(笑)。受け取る側の意識の問題だったのですね。

「うらやましい」という感情はどうしようもないもので、抑えようとしても湧いてくるもの。そんなときは「嫉妬」せずに、素直に「ああ、あの人のことがうらやましいんだな」と自分の感情を認めたうえで、「でも仕方ない。自分は自分、人は人。どうしたって私はあの人にはなれない。自分らしく生きていくしかない」と自分に言い聞かせて気持ちを切り替えるようにしています。

年を取るとよい意味であきらめられるようになりますから(笑)。

6.先入観や偏見、いわゆる常識や慣習から

これまでずっと「~しなければいけない」「ふつうは~するだろう」と自分自身を縛ってきました。

社会や親から無意識のうちに植えつけられていた常識や先入観、果ては偏見まで、よく考えたらどうしてそんなふうにずっと考えていたのだろうかと疑問に感じることも数知れず。

仕事、恋愛、結婚や出産、暮らし方や生き方。たとえば、母から押しつけられた価値観に縛られていた私は、結婚に失敗し子供も産まなかった自分自身を恥じて生きてきました。

でもふと気づきました。私自身、自分で自分を差別していたのだと。「~だから私はダメな人間」だなんて誰が決めたのでしょう? 自分で自分を差別するなんてそれこそ最低なことですよね?

それ以後、なるべく何事もゼロベースで見直す、考え直すことを心がけています。あっさり決めつけない、判断しない。感情的に反応せず、事実として客観的にただ認めること。難しいときもありますが、自分自身も、他人もジャッジしてしまわないように、自分にも他人にもきちんと敬意を払うように心がけています。

7.イヤな人間関係から

かつては他人から嫌われるのを恐れていました。

だから本心を隠して、いつも他人を優先することが多かった。そんなつきあい方をしていると疲れますし、相手のことが嫌いになっていきます。それでも自分を抑えてその相手とつきあうという悪循環。友人は多いほうがいいという思いこみもあったのでしょうね。

そんな他人とのつきあい方にほとほと疲れました。60歳になってからは自分が心から会いたい、話したいと思う相手とだけつきあうことに決めました。自分を殺すような生き方はもうこりごり。

昔から気があう人、いい人だと思える人は、久しぶりに会ってもやはり気持ちよくつきあえる相手だと実感しています。

反対に昔から苦手だった人とは思い切ってつきあいを絶つことに決めました。お互い年月を経て変化しているのだから、久しぶりに会えば以前とは異なる関係を築ける可能性もあるでしょう。でも、それを試しているような時間はもうない、もっと大切な人、ともに時間を過ごしたい人がすでにいるのだから、と自分に言い聞かせています。

8.他人の視線から

私はかつて「世間」ばかり気にしていました。恥ずかしいという気持ちが強かった。つねにみんなと同じ、世間並みでなければいけないと思いこんでいました。

でも他人ってそんなに私のことを気にしていませんよね。自意識過剰がそう思わせているだけ。

せっかく自分に残された自由な時間だというのに、よそさまのことばかりに注意を向けているのはバカバカしい。実体のない世間を気にするよりも、自分自身のことをしっかり考えたいと思います。

9.イヤなこと、面倒なこと、苦手なことから

くすんだ色合いのブルーや紫色のモヤの画像

自分の気持ちに素直になろうと思います。

人間ですからやはりどうしてもイヤなことや苦手なことがあります。若い頃はがむしゃらに努力してきましたが、残された限りある時間をどう使うかと考えると、結局のところ好きなこと、楽しいことに専念したいと思うのです。

もちろん人間として最低限果たさねばならない責任はありますが、自分で選べる部分については自分の気持ちに素直に従おうと考えています。やっぱり好きなものは好き、イヤなことはイヤですよね。単純に。

10.お金の不安から

「足るを知る」。この一語に尽きるでしょう。

お金はいくらでも欲しいといえば欲しいもの。でもそんなに必要ではないともいえる。自分が楽しく暮らせて、好きなことができればいい。

年を取ると悲しいことですが体も頭も衰えていき、若い頃のようには自由に動き回れません。お金を使いたくても使えなくなっていくのです。脳出血で倒れて半身麻痺が残った母がまさにその通りでした。ですからいつか使おうと貯めこんでいても、そのいつかは永遠に来ないかもしれない。

若い人たちは将来のために備えることが大切ではありますが、老後を迎える私にとってはまだ体も頭も心も動くいまこそ、お金の使い時だと感じています。不確実な将来よりも確実な今現在のほうを大事にしたいです。

11.将来の不安、老後の不安から

老後については確かに不安ばかり。とはいえ不安におびえてばかりでは時間を無駄にするだけですよね。

なんらかの行動によって不安が軽減されるなら行動すべきでしょう。私はとりあえず体を鍛え直すことにしました。要介護状態になる時期をなるべく遅らせたい、自分の足で歩き続けたい、という気持ちがあるからです。

将来はどうなるかわからない。だからこそ、不確実な将来のことを憂いて鬱々としたりせずに、いまのうちにやりたいこと、つねづねやりたかったことを叶えておきたいと思います。

体が動かなくなってから後悔せずにすむように。

12.孤独、ひとりぼっちの不安から

私は独身で子供もいませんから、老後は確実にひとりになるでしょう。いまは姉もいるし仲のよい友人もいるし、ひとりで自由に動き回ることもできるので、孤独を感じてはいません。

将来、ひとりでどう生きていくのか。孤独にさいなまれるのか。不安がないわけではありません。でも現実的・合理的・実利的に生きると決めてから、悩んでも仕方のないことに悩んだりはしません。悩むくらいなら自分にできる限りの対策を練っておくようにしています。

それに将来や未来なんて誰にもわからない。世の中も変わっていくでしょう。社会や自分を取り巻く状況も変わっていく。私自身も変わっていく。現状から勝手に推測して不安におののいていても意味はないはずです。

13.死の恐怖から

ずっと「死」を恐れてきました。家族はもちろん、自分自身が死ぬのが怖くてなりませんでした。

でも長年介護した母を見送ることで、「人間はいずれ死ぬ」という至極当たり前のことを今になってようやく心から受け入れられました。

老いて死ぬということは、心身ともに弱っていき(実際に母の弱っていく姿は私の想像を超えていました……汗)やがて命が尽きるということ。もちろんそこまで長生きできたらそれはそれで幸運なことでもありますが。

死を心の底から受け入れることで、死への恐怖は薄れていきました。すべて自然の摂理なのだと。たぶん、そういう境地に至ったこと自体が「老い」というものなのかもしれませんね。でも私はやっと穏やかな心境に至ったのです。

まとめ

ビビッドな色合いのブルーや紫いろ、ピンク色のモヤの画像

人間というものは生きている限り不自由なものなのでしょう。完全な自由などありえない。

でもだからこそなるべく自由に、思いどおりに、好きなように生きられたらと願うのかもしれません。

人生終盤に近づいてから「自由」について思いめぐらすなんて遅すぎる気もします。若い頃からもっと自由に生きていたなら、という残念な気持ちがないわけでもない。それでも60代になったからこそいよいよ自由に生きられる、そんな気がしないでもありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どなたかの心に少しでも響くところがあればうれしいです!

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