その瞬間は、予期せずいきなり訪れました。
翻訳の仕事をやめようと決心した瞬間のことです。
そのときの心境などを記しておこうと思います。フリーランスの翻訳者で「そろそろやめどきかな」という思いが頭をよぎりはじめた方にとっても参考になるかもしれません。ただあくまでも一個人の経験談として受けとめてくださいね。
その瞬間が訪れるまで、やめる気はゼロだったが……
私は40歳ごろから出版翻訳に関わりはじめ、50代も終わるころに映像翻訳の世界にも足を踏みいれました。
10代のころから小説や映画が大好きで、小説の翻訳や映画の字幕翻訳に憧れていました。若いころの夢をあきらめきれず、しぶとくチャレンジしてきたおかげでここまでなんとかたどり着けたのです。まぁ、根性のたまものでしょうね(笑)。
長い時間をかけてさんざん苦労して(?)ようやく夢を叶えたのですから、翻訳業からの引退など考えたことすらなかったわけです。やれるところまでやろう。生涯現役だ。そう考えていました。
さすがに映像翻訳については、かなりのスピードを求められること、スポッティング作業には細かい音を聞き取る聴力も維持せねばならないことを考慮して、とにかく65歳までは続けてみようと決心していました。
ところが出版翻訳の仕事が一段落して映像翻訳のほうを再開しようと思っていた矢先に、ふと、「いや、もういいんじゃないかな……」という思いが頭に浮かびました。正直な話、何か特別なきっかけがあったわけではありません。不意にしみじみとそんな思いがこみあげてきたんですよね。
「もう十分やりきったかな」「そろそろのんびりしてもいいかも」「以前の忙しい生活に戻りたいとは思えないな」様々な思いが去来しました。
のちに元同級生に打ち明けたら、彼女も60代に入ったとたん同じような思いが芽生えたそうです。60代アルアルなのかどうかは不明ですが……。
ふと思い立った引退、あとから理由を考えてみると……
理屈ではまったく説明のつかない、ふと思い立った翻訳業からの引退……。あとづけかもしれませんが、急にやめる決心がついた理由を自分なりに考えてみました。
時間的な余裕がほしくなった、締め切りに追われる生活に疲れた
仕事や介護でせわしない日々。つねに時間に追われる日々でした。
翻訳の仕事をしているといつも締め切りのことが頭から離れないため、私の場合は性格上の問題もあってか、なかなかリラックスできず、大げさにいえば心が休まるときがなかったんです。頭のどこかでずっと仕事のことを考えていました。それは小説の翻訳について顕著でした。
もっとうまく頭を切り替えられたらよかったのですが、私にはどうしても無理でしたね。
翻訳作業が好きだったけれど、心の底から楽しめていなかったのか
子どものころから本が好きで、10代後半から海外の小説に夢中になりました。英語も好きだったので、翻訳者への夢を抱くのはごく自然なことでした。
でも、いかんせん文章を書くのは好きではなかったし上手ではなかった。文章についてはコンプレックスを抱えていました。必死に文章力を磨いてきましたが、結局のところ無理していたのかもしれません。
20代前半、駆け出しの通訳者だったころ、機械翻訳の研究開発をしている会社へアルバイトに行ったおぼえがあります。当時は、かれこれ40年近く前のことですから翻訳の精度はほんとうにひどいものでした。それに対して現代のAIの進化、機械翻訳の精度の高さにはもう驚くばかり。まさに隔世の感があります。
時代は大きく変わりましたね。これからは語学学習の必要性も、通訳・翻訳という職業の重要性も低くなっていくのでしょうか。私の若いころには女性にとって憧れの職業だったものですが(笑)。
メンタル面の問題、がんばりすぎて燃えつきた
私はどうも真面目すぎる性格らしく(本人としてはそんなに真面目なつもりはないのですが……)、とことんがんばりすぎてしまうようです。
勝手に自分に期待して、自分にムチ打って無理をさせてしまう。他人からの期待に応えねばと張り切りすぎてしまう。つまり自分を追いこみすぎる、遊びがなさすぎる、というところでしょうか。
能力が低いからこそ無理するほかなかった、ともいえますが(笑)。
「~せねば」「~やらねば」という思いこみも強すぎて、肩の力をなかなか抜けずにずっと全力疾走しようとしていたのかも。
もう少し「まあ上出来だろう」「そこそこよくできた」というスタンスで取り組んでいたら、もっと長く続けられたかもしれません。
おわりに
あくまで理屈で考えると、上記のような理由がなきにしもあらずという感じです。
とはいえ、再度お伝えしておくと、その瞬間、不思議なくらい静かな気持ちでやめようと思えたのです。心から納得できていました。いまもその気持ちは変わりません。
理想の地点までは到達できなかったけれど、自分としてはまずまずの結果を残せたのではないか、それなりに上出来ではないか、と思えるようになったからかもしれません。
さいごにひとつだけ後悔があるとすれば、それはつらいことや大変なことがあろうと、「もっともっと楽しめばよかったなぁ」ということ。いつも真面目に考えすぎて余裕がなく、笑顔も消えていましたね、たぶん。
先日読んだ『人生の教養が身につく名言集』(三笠書房)において、著者の出口治明さん(還暦でライフネット生命を創業された方です)が、「笑い」の持つ、とてつもないパワーについて言及しています。
仕事でもプライベートでも、深刻にならないほうがいい。
落ち込むことがあったら、仲のいい友達や、あるいはパートナーとおいしいものでも食べて、ゲラゲラ笑って、あとはぐっすり眠れば、悩みの7割くらいは解消できます。
(中略)
真面目に考えすぎるのは不幸の元なのです。
出口治明『人生の教養が身につく名言集』(三笠書房)
仕事のみならず人生全般においてもこんなふうにおおらかに楽しめていたら……といまさらながらに悔やまれますね(笑)。
そうそう、私たち猫の生き方をちょっとは見習ったほうがいいよ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました! なんらかのご参考になれば幸いです。
コメント