悲しんでばかりいないで 元気を出そう! 明るく生きよう! ~60代で母の介護を終えて~

悲しんでばかりいないで-元気を出そう!-明るく生きよう!-~60代で母の介護を終えて~

こんにちは。12年間にわたる母の介護が終わってからしばらくのあいだ、当然といえば当然なのですが、悲しみに沈んだり、あれこれ後悔したりと気が滅入ることが多かったのです。

こんなことではダメだ、いつまでも暗い顔をしていてはいけないと一念発起して、母亡きあとの新生活におけるマイルールを決めてみました。60代にして初めての一人暮らしです(週末には姉が来てくれるのですが)。

私と同じように気分が落ちこんでいる方にとって、少しでもお役に立てばうれしいです。

目次

悲しみに沈まず、自分の気分をあげるためのマイルール7選

ぼんやりとした小さな白い花々の写真

1.どうせ思い出すなら楽しい思い出を

どういうわけか、人間は悲しい記憶がよみがえることのほうが多いですよね。楽しい思い出はなかなか自然と頭に浮かんできてくれません。

それならということで、最近はあえてうれしかったことや楽しかったことばかり思い出すように心がけています。

私の場合だと、病後、体が不自由になる以前の元気な母の姿を思い浮かべるようにしています。一緒に旅行に出かけたときの母の笑顔など。

どうしても直近の悲しい光景がよみがえりがちですが、そのときは頭のなかですぐさま記憶を打ち消すように努めています。

2.過去を振り返ってうじうじ後悔しない

やはり人間はあれこれ後悔しがちですよね。私の場合、母にもっともっと優しくしてあげたかった、もっと旅行に連れていってあげたかった……など、いくらでも後悔の念が浮かんできます。

でも、現実問題として、どんなに後悔しようともはやどうしようもないことです。母はもう戻ってきません。あきらめるほかない。

考えても仕方のないことはなるべく考えない。くよくよ後悔せずに前向きに生きる。

母に対して、私はやれるだけのことをやった、当時の自分としては全力を尽くした、と自分を慰めるようにしています。

人間はしょせん不完全な生きものなのだから仕方がない、と。

3.自分自身の将来、未来を思い描く

母の存命中は、母の体が少しでもよくなればとそのことばかり考えていましたし、母の介護を中心に生活が回っていました。自分のことは基本的に後回しになっていたのです。

でも、これからは自分のことを真っ先に考えようと思います。

現在61歳の私にとってあとどのくらい自由な時間が残されているか、自由に動き回ることができるのか。先のことはわかりませんが、とにかく今後は自分の将来のことを思い描きたいと考えています。

最後にどんな生き方がしたいのか、どんな暮らしをしたいのか。自分の今後についてじっくりと思いを巡らせたいのです。

風にそよぐ紫色のラベンダーの花々

4.楽しいこと、面白そうなこと、ワクワクすることを考え、実行する

 以前は老々介護の不安が募るばかりで、なかなか楽しいほうに思考を向けられませんでした。いまは可能な限り楽しいこと、面白そうなこと、ワクワクすることに意識を向けようとしています。

「しょせん私にはムリ」「どうせうまくいかない」というふうにネガティブに考えず、「とりあえずやってみよう」「ダメなら別のことを試してみよう」という感じで気楽に行動してみようと思います。

小さなことでも好奇心がわいたり、なんとなく心魅かれたり、というふうに心が動いたら、即行動してみるつもりです。

5.誰よりも自分自身を大切にする、優先する

自分よりも他の誰かを優先すべき場合も多いですよね。仕事や家庭、地域活動など、どうしても自分のことは後回しになりがちです。

でも、私の場合、人生もすでに後半戦。母を無事に見送ったからこそ、これからは自分自身を優先することに決めました。義務感や責任感のみに突き動かされて、嫌なことや苦手なこと、気の進まないことをするのはそろそろやめたい。

もちろん、どうしても果たさねばならない義務もあるでしょうが、その場合も思考停止せずに「ほんとうに自分がやる必要があるのか」「よい意味での逃げ道はないのか」「ほかにもっとよい解決法はないのか」などしっかり考えたい。結局引き受けるとしても、ゆめゆめ嫌々ながらやることのないようにしたいと思います。

余談ですが、以前は掃除や料理を義務として仕方なくこなしていたのですが、いまはどちらも自分自身が健康に気持ちよく暮らすためだと思えば、ちっとも邪魔くさくなくなりました(笑)。身の回りの雑事をきちんとこなすことも、自分自身を大切にすることと同義だと感じています。

「自分自身をもてなそう」というのが近ごろのモットーです(笑)。

6.自分で自分を縛らない 「もう年だから」「そんなに先が長くないから」という言い訳をしない

いままでは母がいるからできない、ムリだと自分に言い訳することができました。やりたいことがあっても母の介護があるからいまはまだ動けないと。

でもそんな言い訳はもはやできません。ついに行動する時が来たのです(汗)。

私はいままでずっと自分に言い訳をしながら生きてきました。「私にはムリ」と決めつけてあきらめてしまうほうが、挑戦して負けるよりも楽だったからです。「いつかチャンスがあれば~」と逃げるほうが楽ちんだった。

人生の残り時間が少なくなり、さすがの私も焦ってきました。やりたいことがあるなら、どんどん実行に移しておかねば、いつなんどきその可能性が完全に消えてしまうかわかりません。私の母も75歳で倒れるまでは好きにあちこち出かけたり趣味にいそしんだりしていたのに、突然そんな充実した日々も終わってしまったのですから。

自分の可能性を狭めてしまっているのは自分自身の「絶対ムリ」という思いこみかもしれません。もう年だから、この年で~するなんて、と自分で自分を縛ってしまわず、やりたいことに挑戦できる柔軟性を持っていたいです。

7.いまを大切にする

若い頃はつねにいま現在よりも将来のことを考えていたように思います。いつかこうなりたい、こうなれたら、と夢を描いていました。その夢や目標に向かって努力していました。

いまは残された時間における自分の将来に思いを馳せつつも、いまこの瞬間を大切に生きられたらと考えています。先のことも大切ですが、そのためにいまが楽しくなくなってしまうのはつまらない。

なにより先のことはわからないけれど、あれこれ悩んだり不安になったりせず、とりあえずこの瞬間に幸せな気分でいることはできると思う。

毎日を機嫌よく、なるべくハッピーに過ごせるように、自分の感情をコントロールしていきたいです。

おのれの死すべき運命と向きあいながら生きる

野原に咲く小さな白い花々の写真

母が他界してからすでに3カ月過ぎましたが、いまだにふと悲しくなって涙があふれてくるときがあります。

そんなとき、母と過ごした日々、善かれ悪しかれ懸命に介護した日々がかけがえのない時間だったからこそ、きっと思い出して涙がこぼれるのだと思おうとしています。いま思い返せばこのうえなく大切な時間だったのだろうと。

その渦中にあるときはつらくて悩んでばかりで、いらだつこともありました。どうしてもっと母に優しくできなかったのだろうと後悔ばかり。でも、いまさらずるい考え方かもしれないけれど、振り返ってみれば、私の人生において苦しいけれど充実した、全力で生きた、愛おしい時間だったのだと。

まあ、思い返せば、30年ほど前に離婚した当時もきっとわんわん泣いていたのだろうなと思うのですが、ありがたいことに時の流れはつらい記憶も打ち消してくれるもので、いまやちっとも悲しい記憶はよみがえってきません(笑)。

人間というものは、どんなに悲しみで満ちていても、もし人が彼を何か気を紛らすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれるものなのである。

パスカル『パンセ』前田陽一、由木康 訳(中公文庫)

以前、NHKの番組で紹介されていたこの一節を思いだしました。そう、人間はどんなに悲しくてもおいしくご飯を食べられるし、簡単に気を紛らせて大笑いすることもできる。

しかしながら、パスカルは、人間の尊厳はおのれの死すべき運命と向きあうことだと説いているそうです。

死から目をそらさず、でも、その時が訪れるまではいまを夢中で生きたいものです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。少しでも誰かのお役に立てばうれしいです!

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