植えつけられた先入観
私が高校生のとき、父が心筋梗塞で急逝しました。まだ40代半ばの若さでした。その後の母の苦労は大変なものだったと思います。ただ、そんななかで母の口から「女だとなめられる」「女ひとりだと立場が弱い」と何度も聞かされるうちに、私のなかにもそんな先入観ができあがっていきました。母はひとりで借家の管理をしていたので、男性の入居者さんや工務店さん、不動産業者さんらを相手に交渉する際にそう感じてしまったのでしょう。
母からは「女は結婚して家庭を築き、子供を産むものだ」という古い価値観も押しつけられました。ですので、本来の私自身はあまり結婚願望がなかったのに、母の希望を叶えなければという強迫観念にとらわれるようになりました。
勝手な思いこみにすぎない
実のところ、母も私も負けん気が強くて、男性のうしろに隠れておとなしくしているタイプではまったくなかったのです。母は口では「女は甘く見られる」なんて愚痴っていましたが、たぶん、現実には誰もそんなふうに母を見ておらず、たんなる母の思いこみだったと思います。
私自身、母にそう教えこまれたので、借家の管理を引き継いだときにはかなり虚勢をはろうとしていましたが、実際に入居者さんや業者さんらと関わるなかで、女性蔑視なんて感じたことはなかったのです。相手にどんな態度で接するか、それは性別よりもその人の人間性の問題かな、と思います。
さらに言えば、もしなんらかの理由で他人から見下されていたとしても、自分自身がそれを察知しなければ別に気になりません。そもそも自分に自信があり、きちんとした自尊心があれば、他人の態度など気にする必要はないでしょう。
それでも、離婚して実家に戻ったとき、母から「恥ずかしくて家に置けない」と泣かれたときには、けっこう胸にぐさりとこたえましたね。なんで自分の娘の味方になってくれないのかな、自分の娘よりも世間体のほうが気になるのかな、と。
自分にとってのNGワードを決めよう!
私自身、母の「呪い」のせいで、無意識のうちにさまざまな偏見や先入観に毒されていたんだなと気づきました。そこで、自分なりにNGワードを決めることにしました。
「私はどうせ/もう~だから…(たとえば、もう年だから、女だから、介護があるから、などなど)」
「~だから…」と勝手に決めつけないようにしよう。自分や誰かの属性などで「こうだろう」と判断しない。人を純粋にその人自身として見よう。そんなふうにマイルールを設けました。
言葉というものは不思議ですよね。口にしたとたんに自分でもそれが真実だと納得してしまうような働きがあります。だから、なにかと言い訳をしたり理屈をつけたりして「これはこうだから~」と自分のなかで帰結してしまわないように心がけています。
60代に入ったからこそ、これまでの先入観や偏見、固定観念からきれいさっぱり解放されて、よい意味での本来の自分らしさを取り戻して自由にのびのびと生きたいですね!
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