出版翻訳にまつわる私のトホホな経験談3選

出版翻訳にまつわる私のトホホな経験談3選

こんにちは。今回は私が出版翻訳に携わってから遭遇したトホホな出来事をみなさんにお話しします。20年以上、出版翻訳の世界に関わってきましたが、うれしい経験も数多くあるとはいえ、大変な目や情けない目にもけっこう遭ってきました。

私自身の実力のなさや経験不足、それに気弱な性格のせいも多々あり、その点については反省しています(汗)。しかしながら、(当時の)この業界特有の事情やフリーランスゆえの不利な条件などのせいでもありましたので、あくまで私個人の経験談ではありますが、これから出版翻訳家を目指している方々、すでに出版翻訳家としてデビューされた方々にお伝えする意義があるかと思い、ちょっとお恥ずかしいエピソードも含めてご紹介します。

目次

出版翻訳にまつわる私のトホホな経験談3選

1.翻訳者募集でトライアルに合格、しかし結局は下訳者扱いに……

森の梢に猫の黒いシルエットの画像

出版翻訳の世界に足を踏み入れ、リーディングの仕事(原書を読んでレジュメを作成すること)をこなしていた当時、翻訳者ネットワークのアメリアを通じて、大手出版社による翻訳者募集トライアルを受験するチャンスがありました。

リーディングの仕事からのステップアップを目指していましたが、そうそうチャンスに恵まれるわけではありません。ですから、早速応募して、それはもう張り切って課題文を訳しましたとも(笑)。当時はとにかく「翻訳者」としての一歩を踏み出したかったのでしょうね。

頑張ったかいがあり、なんと自分でも驚いたことに翻訳者に選ばれたわけです。目立った経歴や特別な経験もない自分にこうした幸運が訪れたとあって、まさに天にも昇る気持ちでした(大げさ……笑)。

その仕事はフィクションではなく、といって実用書でもない、ある分野(ここはすみませんが、ちょっとぼかしておきますね)のエンタメ本でした。私は懸命に仕事に励み、翻訳を完成させたのです。

あれは今でもよく覚えています。仕事帰り(当時、英語学校で教えたり教材を作成したりしていました)携帯電話が鳴って出てみると、担当編集者さんからでした。告げられたのは、その分野のある著名な専門家が監訳者として表紙に名前が載り、その方の専属ライターさんが私の翻訳に手を入れて出版することになった、という話でした。翻訳者として選ばれ喜んだのもつかの間、知らないうちに下訳者になっていたのでした……。

事前に契約書を交わしていたわけでもないので、その決定を受け入れざるを得ませんでした。というか、話が違う、理不尽だといくら痛感していても、当時の私にはどうしようもないように感じられたのです。立場が弱いこともありますし、私が必死に訳した原稿よりも、おそらく専属ライターさんのほうがエンタメ本として面白い読み物に仕上げられると心のなかで悟っていたからでしょう。

というわけで「トライアル合格→一般書での翻訳デビュー」の夢は潰えて、トホホな結果に終わったというエピソードでした。

でも、出版翻訳家を目指しているみなさま、どうか落胆されませんように。

編集者さんたちは律儀な方が多く、このときの担当編集者さんにはのちに別の編集者さんにご紹介いただき、ノンフィクションの自己啓発本を訳すことになりました。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」ですね。とてもありがたかったです。私のことを覚えていてくださったんだと思うと、心からうれしかったですね。

事前に契約書を交わしておきたいところだが、私の経験上、それはなかなか難しいとも思われる。自分のキャリアにとって役立つと判断できるなら、仕方ないと割り切って受け入れるのもアリだと思う。人脈ができて、のちに思わぬ形で運が巡ってくることもある。

2.依頼を受けて訳したものの、結局出版されなかった……

森の小道と猫の黒いシルエットの画像

これは翻訳に限らず、ライターさんや作家さんの場合にも起こることかもしれません。

仕事の依頼を受けたらふつうは契約書を交わすだろうに、とみなさんはお思いになるでしょうが、他の記事でも述べたように私の経験では、この業界では当初すべて口約束かメールのみでしたし、のちに契約書を交わすようになってもそれは翻訳作業がすべて終わってからのことでしたね。

映像翻訳の仕事では依頼された時点できちんとした業務委託契約書や発注書を受け取りましたが、出版の分野では翻訳の仕事はもちろんリーディングなどもすべて電話での口約束やメールでのざっくりした依頼のみでした。よくも悪くもそれが長年の慣行なのでしょう。

たとえば、おおよその納期、出版予定価格や部数、印税率などを編集者さんからざっくり教えてもらい、こちらは締め切りまでにがんばって訳了するわけです。

しかしながら、編集者さんは基本的にお忙しいので、その後は予定がずれてくることも珍しくありません。ですから、訳了してもその後の連絡がなかなかなかったり……。スケジュールの変更はどんな仕事にもつきものですが。

ようやく出版に向けて作業が進んだとしても、途中で諸事情により予定発行部数が減ってしまうことも幾度かありました……(涙)。出版不況の折、これも仕方のないことなのでしょう。

そしてさらにつらいことに、どういう事情があったのかわかりませんが、こちらは翻訳を終え、校正作業も終了してあとは出版を待つだけという段階になったものの、いっこうに見本も届かず、連絡もなく……というケースもこれまで3件ほどありました。

いずれも出版計画になにか狂いが生じたらしく、こちらにはうかがい知れない事情から出版が中止されたようでした。とにかく詳しい説明がなく、こちらとしては戸惑うばかりでした。

そのうち1冊は実用書で買い取りの予定だったため、支払い交渉をしてなんとか未払いを回避できました。しかし、残り2冊はフィクション(小説)で、長らくお世話になっている編集者さんが相手ということもあり、今後の仕事のことも頭の片隅にあったせいか、私のほうからは強い態度に出ることができませんでした。

なんらかの交渉をすべきだったと思いますが、私自身精神的にも疲弊しており、闘う気力がなかったという事情もあります。もういいや、というあきらめの境地だったのか……。

ただ、長年お世話になっている出版社や編集者さんですから、こちらからなんらかの交渉をすれば、対応してもらえたのではないかと推測します。ある程度の金額を支払ってもらう、もしくはほかの仕事を回してもらうなどでしょうか?

フリーランスの翻訳者は弱い立場に置かれることもある。自分の身を守るにはどうするべきか、不測の事態にも冷静に対処できるように、ふだんから相手とのコミュニケーションを欠かさず、交渉の余地を残しておくべきかもしれない。

3.シリーズ物の翻訳でメインの翻訳者からダメ出しを受ける

青空と緑の木々、猫の黒いシルエットの画像

20年余りの私の翻訳人生で、このエピソードがもっとも屈辱的で情けなかったですね……(笑)。

あるロマンス小説の長編シリーズをほかの翻訳者の方と1冊ずつ交代で訳すことになったときの話です。その翻訳者の方が当該ロマンスシリーズの発掘者でもあり、メインの翻訳者という形でした。すでに第1巻が刊行されており、私が第2巻から参加しました。

この「ダメ出し」の一件については、どういう経緯でそうなったのかいまだに全く不明なのですが、メインの翻訳者の方が私の訳了したばかりの翻訳原稿を入手して、ここがおかしい、この表現はキャラに合わない、シリーズ全体との整合性がとれていない、など細かいチェックをしたうえで、すべてフィードバックしてきたのです。

編集者さんや校正者さんからのチェックではなく、ほかの同業者からのチェックは初めての経験で驚きましたね。その翻訳者の方はおそらくベテランで、そのシリーズを私よりも熟知しているとはいえ、翻訳の世界ではいったんプロとして仕事を引き受けると、「新人」という扱いを受けることはそれまで一度もなかったのです。それは報酬の面でも同じでした。

自分の翻訳に自信があれば突っぱねることもできたでしょうが、まだ出版翻訳の経験が浅く、不安も大きかった私は、内心かなり屈辱的だと感じながらも、相手のチェックをひとつひとつ確認して自分の原稿を修正していきました。

もちろん、メインの翻訳者さんは有能な方ですし、そもそもそのシリーズを発掘した方なので、その作品に愛着があってよい翻訳にしたいという思いがあったからでしょう。それに担当編集さんも私の翻訳に不安があったからこそ訳稿を彼女に渡したのでしょう。

ただ、当時の私にとっては心身ともかなりきつい作業になりました。自分が情けなかったし、悔しかったですね。誰にも文句を言わせないほど素晴らしい訳文を捻出できていたらと……。

それでも結果としてよい勉強になったことは確かですから、「チェックしてもらえるなんてラッキー」くらいのおおらかな気持ちで対処するのもアリだったかもなんて……。

 かつて恩師から、翻訳講座では「誰かに見てもらえる」文体が前提だけれど、プロとしてやっていくためには「自分の文体がどこから攻撃されてもいい文体(具体的にいうなら、どれだけわかりやすく、日本語としてリズムがあり、さらにプラスアルファの個性があるということ)」にならないといけないと教わった。
 私は残念ながら果たせないままプロになってしまったが、学習中のみなさんはとにかくしっかり勉強して、しっかり訓練して、自信をつけてほしい。「どこから攻撃されてもいい文体」を目指してほしい。

おわりに

山の向こうから昇ってくる朝日と猫

今回のエピソードは、私がたぶん40代前半の頃の話だったと思います。60歳になったいま振り返ってみると、どれもよい経験、よい勉強になったと感じています。

それでも、いまの自分なら、心のなかにモヤモヤした気持ちがあれば、きっと正直に相手に伝えると思います。そのうえで自分の実力のなさが原因だとしたら、相手の要求を受け入れて最大限努力するでしょう。

ただ、そもそも意にそぐわない、自分にとって不利な仕事を引き受けるべきではないかもしれないと、いまなら考えます。何をするのであれ、自分の気持ちや心に素直に従いたいと思うのです。やりたくないことを我慢して無理やりこなしても心身ともに疲弊するだけですし、よい結果を生むとは思えません。

そうはいっても若い頃には自分の思うように進まないことは多いですし、自分を曲げて嫌なことをやる必要もあるでしょう。でも少しずつ自由になっていくためにも、実力をつけて、選択肢を増やし、精神的にも経済的にも余裕を得ていきたいものです。

「言うは易く行うは難し」。私自身もいまだに悩み、葛藤する日々ですが、少しでも自分の望む方向に人生が進んでいけばと思います。

今回は長いお話になりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました! 少しでも参考になれば幸いです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次