みなさん、自分自身をちゃんと許していますか? 過去に犯した失敗や過ちを悔いてばかり、ダメな自分を責めてばかり、ということはありませんか?
他の誰かに対しては「いいよ、気にしないで。ぜんぜん大丈夫だから」とあっさり許してあげるのに、自分に対しては厳しすぎたりしませんか? 一番大切なのは、本来、自分自身のはず、他の誰かじゃないのに。
真面目な人ほど自分ばかり責めていませんか?
もちろん反省は大事ですが、反省ばかりで前に進めなくなっては元も子もありません。今の自分は過去の自分と同じではないのです。
私自身、過去を振り返っては自分のダメさを呪い、自分を卑下し、責め続けてきました。情けない話、40代、50代になってもそうでした。
今回は、そんな私に「ああ、自分を許してもいいんだ」と気づかせてくれた、スペイン発の異色のファンタジー『漂泊の王の伝説』(偕成社)からの一節をご紹介します。
後悔ばかりの人生でした(笑)
私自身、過去を振り返ってみれば、恥ずかしいこと、ふがいない、情けないことがいくらでも思い出せます(笑)。
中学や高校では部活動に挫折しましたし、高校受験も第一志望をあきらめ第二志望に甘んじました。大学受験には失敗し、浪人をあきらめて短大に進学。
仕事は通訳を選んで失敗し、のちに翻訳に転向。
親の勧める見合い結婚をせず恋愛結婚を選んだものの、結局は離婚などなど。
30代から40代にかけて自分なりに人生の軌道修正をして、大学に編入学したり出版翻訳に再挑戦したりとなんとか巻き返しをはかってきました。
それでも後悔は尽きませんでした。行き当たりばったりの人生、計画性のなさ、弱い自分に負けてばかりの根性のなさ……。自分はなんてダメな人間なんだ、人に誇れることなんてひとつもない。間違いを犯して、大事な人たちを傷つけてばかりだった……。
つい深刻に考えこんでしまう、生真面目な性格も災いしたのでしょうね。
スペイン発の異色のファンタジー『漂泊の王の伝説』との出会い
でも、そんなに自分を責めなくていい、人間は間違いを犯すものだ、と気づかせてくれたのが、スペイン発ファンタジー『漂泊の王の伝説』の一節でした。
*一部ネタバレを含みますのでご注意ください。
砂漠の王国、キンダの王子ワリードは貧しい絨毯織りの詩によって、夢と名誉をうばわれてしまう。憎しみにかられ、ワリードはその男に難題をもうしつける。人類の歴史をすべて織りこんだ絨毯をつくれ、と。それは、成しとげられない命令のはずであった…。
amazonの作品紹介より抜粋
偕成社の本書紹介ページはこちら
「若くて、端正で、りりしく、寛大で、分別があり、聡明で、勇敢で、すぐれた戦士というだけでなく、教養人でもあった」キンダ王国の王子ワリード。
しかし、彼が情熱を傾けていたカスィーダ(長詩)のコンクールにおいて、貧しい絨毯織りの詩人に三度優勝を奪われます。激しい憎悪を抱いた王子は、絨毯織りの身をほろぼしてやろうと残酷な仕打ちをするのです。
気高い王子は、みずからの才能を過信し、自分よりも優れた才能の持ち主にすさまじい嫉妬心を抱くことで転落していきます。高貴な身分の者ゆえの傲慢さから、貧しい平民の絨毯織りを見下していたのです。
その姿は哀れなのですが、とうてい敵わない圧倒的な才能を前にして地団太踏むほどに悔しがる王子の気持ちはわからないでもありません。当の本人である絨毯織りは、偉大な精神をもつ世界中で最高の芸術家でありながら、謙虚かつ実直でおのれの詩の才能にまったく無自覚なのですから。
父王が最後に残した「われわれはみな、自分のすることに責任がある。よい行いにも悪い行いにも。そして、人生はかならず、おまえのした分だけ返してよこす。忘れるなよ。人生は、そのつぐないをさせるということを……。」という言葉をきっかけに、王子は自分の犯した過ちに対する後悔の念で心をむしばまれるようになっていきます。
人間はときどき過ちを犯すもの。罪悪感に押し潰される必要はない
やがて絨毯織りが完成させた、人類の歴史をすべて織りこんだ絨毯が盗まれ、王子は罪の意識と後悔の念に突き動かされ、絨毯を取り返そうと砂漠へ馬を走らせます。
以下に引用したのは、放浪の旅を続けるなか出会った恩人、アラビアでも指折りの商人ラシードから告げられた言葉です。このとき、王子は身分を隠して、〈漂泊の王(マリク)〉と名乗っています。
「きみはみょうに責任感の強い男だな、マリク。人間はときどき、あやまちをおかすんだ。まちがいをするたびに自分を責めていたら、残りの人生ずっと、地面から顔をあげることもできなくなってしまうだろうよ。」
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア作、松下直弘 訳『漂泊の王の伝説』(偕成社)
もう一カ所引用したいのは、物語後半のクライマックスで王子が悟りを得るシーンです。
彼は、自分がなりたい人間になれる力をもっていることに気づいた。そして、ずいぶん前に暴君ワリードは死んだことも。それは、彼がその道を最後まで進まず、あともどりしたからだった。
そして、責任について語っていたラシードの言葉を思いだした。ワリードはあやまちをおかした。だが、彼はもうそのときの人間ではなかった。自分のあやまちのつぐないはしなければならないが、罪悪感でおしつぶされて、あらたに選択する道も歩めないほどになることはない。そんな気持ちになってしまったら、目的地までたどりつく力はとうてい、わいてくるものではない。
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア作、松下直弘 訳『漂泊の王の伝説』(偕成社)
失敗や挫折、後悔は人生につきもの。
もちろん、最終的には後悔のない人生を送りたいものですが、過去を変えることはできません。過去の過ちを認めたうえで、生まれ変わったつもりで新たな人生の一歩を踏みだしたいですね。
そのための力を取り戻すためにも、自分を責め過ぎて罪悪感に押し潰されないようにしなければいけません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
過去にとらわれ過ぎず、幸せな人生を歩んでいきたいですね。
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