私は人づきあいが苦手です。現在はほぼ引きこもっているので、人間関係の悩みはほぼなくなりましたが、外で働いていたときはストレスにさらされ、心身ともに消耗していました。
会社や学校といういわば閉鎖された社会で、まれに自分とはかけ離れた、想像もつかない思考回路や行動パターンの持ち主と出会うことがあります。自分が従来苦手なタイプの人間ですね。それが、よい出会いになるときもあれば、最悪の出会いになるときもある。
ときには理不尽で不当な嫌がらせに遭うこともあります。そんなとき、みなさんはどうしますか?
今回は私の好きな村上春樹の短編「沈黙」をご紹介するとともに、私自身の経験談もお話ししたいと思います。
昭和世代の私の小中高時代
私のような昭和世代の人間も小学校から中学まで、おそらく最近とは異なる形の、いろいろないじめに遭遇してきました。私自身はひどいいじめに遭った記憶はないのですが、仲良しグループのなかでリーダー格の子の気分次第で順にひとりずつ仲間はずれにされたりしました。そうなるとひとりきりでお弁当を食べたり下校したりするはめになります。耐えているうちにやがてほかの子が仲間はずれにされる順番が来る。
私の場合、当時そんな暗黙のルールがわかっていたし、ほかのクラスに友だちがいたからか、あまり悩んでいた覚えはありません。でも、きっと子どもなりに悩んでいたのでしょうね。
高校に進学すると、やや郊外にあるのんびりした学校だったせいか、理由はよくわかりませんが、いじめらしき行為はなかったですね。まぁ、美術の先生から授業中にけっこうちくちく嫌なことを言われた覚えはあるんですが……(笑)。
大人になってから職場で受けた嫌がらせ
村上春樹の短編について書こうと考え、思い浮かんだ私自身の体験談は、語学関係のスクールで働いていたときのことです。
ネイティブスピーカーの同僚のなかで、やや問題行動のある女性がいたんです。気分にかなりムラがあり、酒の席では同僚に絡んだりすることもありました。
誰もが腫れ物に触るような扱いをしていたんだと思います。でも普段は気の良いところもあり、概して同僚や生徒から好かれ、頼りにされていました。
あるとき、その女性と一緒に数名でお酒を飲む機会があったのですが、ちょっとした誤解で彼女が怒って帰ってしまったんです。ほかにも同僚がいたにもかかわらず、結局、彼女のなかで私だけが悪者に仕立てられてしまったようでした。
次の日から、そのネイティブの女性に徹底的に無視され、すれ違うたびににらみつけられました。
私のケース以前にも彼女から嫌がらせを受けた同僚がいて、ひどい場合には大事な書類をゴミ箱に捨てられたり、肘鉄を食らわされたりしていたそうです。
私自身はそこまでひどい嫌がらせをされなかったのですが、毎日通う職場で一日じゅう無視されるのはかなり精神的にこたえます。それに仕事の性質上、ネイティブスピーカーに質問したり、プルーフリーディングしてもらったりする必要性があり、仕事のうえでも支障をきたしました。
周囲の同僚たちも私を気づかってはくれますが、基本的には静観するのみです。私はただ耐えるしかなかった。
私はそもそも心底強い人間ではないので、やがて精神的に限界に達しました。自分が悪いとは思わない。でも、自分から謝ってしまえば周囲にも迷惑をかけずに済むと考えたんです。
自分を曲げて、あえて彼女に謝り、そうしてようやく元どおり平穏無事な毎日を取り戻しました。
酒の場に同席していた同僚たちや周囲の「沈黙」に失望したのは間違いありませんが、なによりもはなから気乗りしない集まりに参加したあげく、嫌がらせのターゲットにされ、精神的にまいってとうとう謝るしかなかった自分がほとほと嫌になりました。
自分が楽になるために相手に屈してしまう。そんな情けない、自分を大切にしない生き方はだめですよね。
村上春樹の短編「沈黙」より
さて、村上春樹の短編「沈黙」(文春文庫『レキシントンの幽霊』所収)
大沢さんという男性が一度だけ人を殴ったことがあると語ります。大沢さんは中学生のころからずっとボクシングのジムに通っているのですが、物静かで温厚で、攻撃的という性質からかけ離れた人物です。
僕がボクシングを気に入った理由のひとつは、そこに深みがあるからです。その深みが僕を捉えたんだと思います。(中略)人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。
村上春樹「沈黙」(文春文庫『レキシントンの幽霊』所収)
大沢さんが殴った男は青木という中学の同級生で、一目見たときから嫌で嫌でしかたなかった男。成績優秀で人気者、ちょっとした正義漢のようなところもある。でも大沢さんはその同級生の本能的な計算高さ、体から発散するエゴとプライドの匂いを感じ取ったのです。
青木の陰湿な策略により大沢さんは高校で完全に孤立させられ、ついに押しつぶされそうになるのですが、そんな地獄のような状況からあるきっかけで立ち直ります。
ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。何も自分に深みがあると言っているわけじゃありません。僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。でも彼らにはそれさえもないのです。それは空しい平板な人生です。どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません。
村上春樹「沈黙」(文春文庫『レキシントンの幽霊』所収)
そして、私自身、当時の弱かった自分に言い聞かせたい言葉が、以下の二節です。
僕にはまだ誇りというものが残っていました。青木のような人間にこのままずるずるとひきずり下ろされるわけにはいかないんだ、はっきりとそう思いました。
村上春樹「沈黙」(文春文庫『レキシントンの幽霊』所収)
負けるわけにはいかないんだと思いました。青木に勝つとか、そういうことじゃありません。人生そのものに負けるわけにはいかないと思ったんです。自分が軽蔑し侮蔑するものに簡単に押し潰されるわけにはいかないんです。
村上春樹「沈黙」(文春文庫『レキシントンの幽霊』所収)
いまさらながら、当時の私には「誇り」というものはなく、早く苦しみから解放されたい、なるべく事を丸くおさめたい、というあさましい臆病者でしかなかったんだなと思います。
自分が軽蔑し侮蔑するものに押し潰されるわけにいかない。
そんなふうに自分を貫けたら、かっこいいですよね。そんなふうに生きられたら……。
なんでも無批判に受け入れ信じてしまう集団の「沈黙」が恐ろしい
最後に大沢さんは「青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中」こそ本当に怖いのだと語ります。
こうした集団の「沈黙」こそ恐ろしい。自分が誰かを無意味に傷つけている可能性すら思いもしないのだと。
きっと理想論にすぎないでしょうし、弱い自分が絶対にできるという自信もまだありませんが、「沈黙」する集団の一員にならずに生きていけたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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